わたしのキッズダンスの世界〜高度成長期〜【3/6】
衣装、髪型、お化粧、口紅の色ひとつにまでこだわり、音楽にこだわり、振付、構成にこだわり、コンテストであろうがショーケースであろうが、チームであろうが団体であろうが、わたしたちが踊るその目の前に、一人でも観客がいるのであれば、全力で最高のパフォーマンスをしよう。
そうして始まった再スタート。
コンテストチームも作り、強化クラスも作り、舞台に立つチャンスがあるたびに、スタジオ内でオーディションをして選ばれたものだけが舞台に立てました。
当時ゆとり教育真っ只中だったのですが、全くもって逆走していた体育会系ダンス教室と化しました。
スタジオでのレッスンだけでなく、コンテストチームの生徒たちは自分たちで他の施設を借りて、毎日毎日練習する日々。そうじゃない子たちもその雰囲気に呑まれ、一緒にどんどん成長し、月謝もさらにあげさせてもらい、本気の子だけでいいアピール。
保護者の協力なしには成り立たない。
コンテスト情報をかき集め、関東各地を飛び回りチームが踊るとなればその会場を盛り上げるためにスタジオみんなで応援にゆきました。
おかげで(ってここまでが激烈めっちゃくちゃ大変だったんだけど)、2年近くかけてスタジオの壁は表彰だらけになりました。
コンテストでなくとも、発表会に出れば場内の大きな歓声と大きな拍手に包まれ、涙を流してくれるお客様まで。SKY/HIのスタジオに通うには親のオーディションがあるという噂まで出ていました。全くないですけど。笑
これぞ、ザ・キッズダンサー!な時代。笑
みんなで頑張ってきた分、生徒やスタジオは有名になってゆくけれど
【欲】というものは、一つ手に入ればもうひと周り大きいものが欲しくなり、それが手に入ると、もっと大きなものが欲しくなる。キリがなくて本当に厄介。
そうすると周りも見えなくなってゆき、傷つけようが傷つこうが、手に入らないのは弱い者が悪いのだと勘違いが始まり、時には自分までも必要以上に傷つけてしまう。
好きと目標と欲の区別が、よくわからなくなっていて競争だらけのスタジオ内は、なんだかギスギスし始め、見えない何かに飲み込まれてゆくけど、中に居ると何がおかしいのかわからない。
だって目標に向かって頑張ってるだけだもの。
止まるわけになんて行かなかったんです。上を見ればキリがないから追いつきたくて追い越したくて。
わたしは昼間は大人へのフィットネスインストラクター。
夕方からは子供達へキッズダンスの先生という二足の草鞋でそれはそれはもうてんてこまい。
ダンスにおいては、自信の無さからいつも自分を責めて追い込んで、人生最高に痩せてた30代前半。
だからってもちろん、そんなギスギスしたことだらけじゃなくて、夕方みんながスタジオに集まれば、最高に楽しくて平和でハッピーでワクワクした時間だってたくさんたくさんありました。
みんなの愛と、ママたちの愛に常に包まれていたからこそ前進してこれたスタジオ。
思い出はいつだって笑いに包まれていたものばかりです。
そしてその頃、6年生になったばかりのヒナはとあるコンテストで審査員をしていた東京★キッズのMAIKOさんの目に留まり、一人で東京通いが始まりました。
そこから中学受験までの4年間というものは、親子で人生を賭けた、かけがえのない4年間となりました。
【4/6へ続く】