わたしのキッズダンスの世界〜はじまりはじまり〜【1/6】
キッズダンススクールを始めるきっかけとなったお話。
転職してフィットネスインストラクターになり、私生活では結婚して子供も2人。
長女(ヒナ)が小学生になる頃には、仕事にも少しづつゆとりが出てきて(子育てと仕事は両立できないしメンタル諸々ボロボロ魔の5年間くらいを過ごしたwのち)ジムのレッスンでは集客も安定し契約レッスン数は過去最高で他県の方まで移動しながら人生最高な細マッチョ時代。
ヒナは3歳の頃、わたしが趣味で通っていたダンス教室へ入ったのですが、大人向けで厳しかったジャズダンスの世界。
3歳の彼女は毎回大泣きで拉致されるかのような面持ちでスタジオの中に引きずりこまれ親は立ち入り禁止。泣き声を聞きながらスタジオのドアを後にする。こんなんじゃダンスが嫌いになってしまうのではなかろうか。と悩み、1年ほどで退会。
それでもやはり音楽に乗って体を動かすことが好きなヒナ。
1年生の頃、ヒナの友達が通うダンス教室(リトミック)っぽいところに見学に行きました。そのリトミック教室に通ってる中に、中学1年生(その教室のエースと思われる)の保護者とお話をしたら、「うちのコはこのダンス教室に9年通ってるんです。ヒナちゃんも今からやれば絶対ダンスが上手になりますよ」と、とても嬉しそうに言ってました。
ん?
ちょっと待って。これはダンスじゃないぞ。
体操に近いし、決まり決まった順番を覚えて動いているだけのもので、基本も基礎も音楽もまるで関係ない。ウォーミングアップはボール遊び。
もちろんそれがいいとしてそれを好んでいる場合は大正解な場所だが、もし本人や親がダンスだと思って9年も通い、ダンスが上手になったと思ってるのだとしたら、これはまずいぞ。これはダンスじゃないし。と心の中で呟く。まあ若さゆえのやつ。笑
事実、今から20年以上前の当時、熊谷にはキッズダンススクールなんてなかったんです。ガチガチ本気なバレエ教室か熟女向けのジャズダンス教室か。(←わたしこれに通ってたw)
この田舎には幼い子が、当時旋風を起こしていたモー娘。のように踊れるようになる教室なんて(あったかもしれないけど)おそらくほぼない。とにかく楽しむためのダンススクールなんてなかったんです。
これは。もしや。わたしの。出番では?
となったわけですが(笑)
でもわたしなんて、高校生の頃、ダンスの上手なかっこいいコを見る目当てで大宮ソニックに行って、コンクリートの上でストリートダンスをふんわり教わってダンスが好きになり、子育て中の空いた時間に、ジャズダンスを習いに行ってる程度のひよっこもいいところ。
こんなわたしに何ができるのか?先生っていうのはあのイントラ養成時代のような地獄のような努力あってこその存在よね。
いやぁでもこんな風にダンスだと思ってダンスじゃなかったという田舎アルアルを多少解消できるくらいの技術ならあるんじゃないの?インストラクターという職業にも慣れているし。
音を聴いてリズムに合わせてアイソレ(身体の一部分だけを意識的に動かす動き)する。これだけでダンスになるし。
小さいコ(娘と同級生か年下)限定で楽しく踊ろうじゃないか。
子育てしてるから子供との距離感は掴めると思うし、何より子供が好きだし、どうにかなる。なんだか楽しそうじゃないか。
拠点は自宅の庭。に(大工の義父が)建てた小さなスタジオ。
ピラティスのトレーナーになった時に、いつか独立して自宅でレッスンできるようにと建ててあった場所。
まずは娘と(無料でいいからと)お誘いした近所の同級生と、リトミック教室に誘ってくれた友達全部で5名から始まった名前のないキッズダンススクール。
あのリトミックに行ってから1年くらい経ったころのこと。
予定は当時3年生だったヒナが6年生になる頃までの約4年間というプランで。
とにかく5人が楽しく過ごし仲良くなってダンスが好きになる場所になれたらいい。
そうして集まった5人が、ある日ヒナの通う小学校の親子レクリエーションの日に、体育館で1曲踊れることになりました。
今でも忘れない、Def Tech の My Way。
それはそれは簡単な振付でしたが、初めて生徒を踊らせるという感覚。それを拍手してもらえるという感覚。自分が踊ってるわけじゃないのに、あの感動とあのトキメキったら忘れられません。
これがまさかの評判になり、一人増え、二人増え、あれよあれよと40人以上ものマンモスサークルになってしまいまして。
小さなスタジオには子供15人くらいが限界。わたしは、曜日を変え、時間を変え、毎日のように夕方はキッズたちと過ごす日々が始まりました。
なんか予定と違うぞ。笑
子供達と過ごす時間はとても楽しくワクワクでしたが、自分のエネルギーが足りない。自分の技術も足りない。これはまずいぞと昼間の空いた時間は都内まで通い、猛烈ダンススクール通いが始まりました。あんな体力は20代だからこそだなあ。
2人の子育てしながら、仕事しながら、ダンス教室に通いながらというなかなかのハードな時間の足りなさと、体力の厳しさゆえ、無料という時間はメンタル過酷なため1回500円をいただくことにして、いよいよ本格的なキッズダンススクールが始まりました。2005年の出来事。
またまたわたしはその後の人生が劇的に変わるなんてことも知らず、キッズダンスという世界に無知なまま飛び込んでしまったというわけです。
なんだってわたしは何かあると『わたしの出番では?』って思っちゃうんだろう。そうやっていつもノリで踏み入れて結果、自分を追い込む性がある。
【2/6へ続く】