心霊スポット紹介 三河島事故現場
今までは関西の心霊スポットをメインに紹介してきたが、今回は久しぶりの関東・東京にある心霊スポットの現在を撮影してきた(*゚∀゚)
まずは荒川区にある三河島事故現場から紹介。
怪異譚の説明の前にまず三河島事故について説明。
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【三河島事故とは?】
1962(昭和37)年5月3日21時37分頃に日本国有鉄道(現在JR東日本)三河島駅から少し南千住駅に行った所で貨物列車の先頭車両と二両目が脱線してしまう。更にその直後に下りの列車が脱線した貨物列車に接触してしまい脱線。乗っていた乗客が降り線路上を歩き始めたところを上り列車が次々と乗客を轢き更に脱線している列車と衝突する。
死者160人、負傷者296人を出した未曾有の大惨事になってしまった。
中でも、有名な話が遺体番号88番の謎。何故か数珠を握りしめたご遺体が発見されるも、事故状況から察しても事故とは関係がないものと解釈されるも遺体の身元が結局分からないままなのだ。事故現場を見に来た野次馬の可能性もあり得るかもしれない。
その他、心霊の曰くについてはリンク先の全国心霊マップ様を見て頂きたい。
【三河島事故現場の怪異譚】
・男性の幽霊が出る
・少年の幽霊が出る
・少女の幽霊が出る
三河島事故となった現在はどうなっているのか、全国心霊マップ様の情報を頼りに行き撮影してきた。
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【まとめ】
時間帯の問題もあるのかもしれないが、比較的人通りもあったために、心霊現象とも、いや亡くなられた方の残留思念すら感じることはなかった。
しかし、上を見上げてみたら、やはりそちらのほうが強い気配を感じる。ハッキリと見たというわけではないので、確信をもって言えるレベルではないがいらっしゃる可能性があるなら高架橋ではなく線路上の可能性が高いとしか思えない。
後に怪談として紹介するが、電車で南千住駅へ移動する際に不思議なことがあったので話して〆る。
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【怪談 血飛沫のワイシャツ】
私が三河島事故現場の心霊検証並びに慰霊碑がある浄正寺へ哀悼の意を捧げたあと、南千住駅へと向かうために三河島駅へと向かった。
そして駅のホームで南千住方面へと向かう電車に乗ると、電車はゆっくりとした速度で事故現場を通過していく。私は次の駅なので立って車窓から眺める荒川区の街並みを眺めていた。
その際に線路上にある変電設備の付近に上は白いワイシャツを着た下は茶色のパンツスーツのサラリーマンの男性が歩いているのが見えた。
ふと、変電設備が眩しい日差しに反射して人だと見間違えたのかもしれないと思い改めて目を凝視してみると、男性が着用していたワイシャツの背中には明らかに誰かの血飛沫を浴びた複数の血痕が見受けられた。見た感じ、男性の血ではなく、他の誰かの血飛沫を背中にブシャーとかかった感じだった。
私の中で思わずワイシャツに血飛沫があちらこちらに飛んでるじゃないかと思うと、これは目の錯覚じゃないと確信すると、電車はゆっくりと速度をあげて男性の横を通り過ぎる。
その際に男性の表情がチラッと見えたが、前を向いて歩く男性の顔は血の気が引いて青白く生気が感じられなかった。
線路上にJRの作業着姿ではないサラリーマンの服装の方が歩いている人がいるのもおかしいところだが歩く人もこの世の方ではないのは明々白々だった。
恐らく事故が発生した際に男性は線路上を歩かねばならなくなった。その際に上り列車に男性の後ろを歩く方が轢かれるとその方の血飛沫を浴びる形でワイシャツの背中に血飛沫がかかると、男性も巻き込まれた可能性のほうが高い。
思いがけず事故に遭い不幸にも旅立たれた方が今もなお彷徨い続けているのだとしたら、生きていたら色々としたかっただろう無念は計り知れない。
国鉄からJRへと民営化されたが、いくら時代や会社の経営方針が変わっても、無念や残留思念は決して拭い去ることはできない。
思いがけず、たまたま乗り合わせた電車ならば尚更死ぬことすら想定していない方もいるはずだ。悲惨な事故があったことをこれからも亡くなられた方々に対するお悔やみの気持ちと同時に、事故があったことを決して風化させず語り継ぐことが必要なことなんだと改めて思うのだった。
怪談 血飛沫のワイシャツ END
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