【エッセイ】ツツジの花の蜜は
桜が終わり、花水木が終わると、次はツツジが咲く。
私の通勤路の街路樹は花水木なのだが、その花水木の道を曲がると次はツツジの植え込みのある道に入る。
こんもりとした緑の植え込みが、一斉に鮮やかなピンク色に染まると初夏の訪れを告げるようで心が弾む。
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同時に、この濃いピンク色の花を見ると思い出す。
小学校の帰り道に、甘い道草をしていたことを。
ツツジに蜜があることを教えてくれたのは小4の時。クラスは別になってしまったが、ずっと仲良しだったひよりちゃんからだ。
二世帯住居で祖父と暮らしているせいか、物知りな子だった。
ツツジだけではない。薔薇のとげを鼻にくっつける遊びも、桑の実が食べられることを教えてくれたのも彼女だ。
その子の家にはポンプ式の井戸があったり、町内で行われれている二の午のお稲荷様の位置も誰よりも多く知っている子だった。
二の午とは、2月の2回目の午の日にお稲荷様を祭っているお宅にお参りするとお菓子がもらえるお祭りである。
彼女と友達だったおかげで、他の子よりもたくさんのお菓子をもらえて誇らしかったことは大人になった今でも記憶に残っている。
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こうやって話をすると、古い時代のどこか山奥の牧歌的な話に聞こえるかもしれないがそうでもない。
確かに古い話ではあるのだが現在住んでいる東北のとある田舎の市の話ではない。
私は父の仕事の関係で、小学校の5年まで東京の八王子に住んでいた。
関東の方は、八王子と言うと高尾山=田舎というイメージだが私が子供の頃に住んでいたのは駅の近くだったため今住んでいるところよりも都会であった。
大きなデパートもあり、私鉄の駅もある。
その一方で、昔ながらの商店街や神社や河もある。
当時の八王子は、新しいものと古いものが混ざり合う不思議な街だった。
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ひよりちゃんにツツジに蜜があると初めて教えてもらった時、ひよりちゃんは何でも知っていてすごいなぁと感心したものだ。
私は、その知識を疑うことがなく全幅の信頼を寄せていた。
「このピンクの花が食べられるの?」
私がそう言うとひよりちゃんは、
「違うよ。食べるんじゃなくて、吸う? 舐めるんだよ」
と、植え込みからピンと張りの良い花を選んで摘んで渡してくれた。
その円錐の切り口。摘んだ花先に小さく水のような雫が浮かぶ。
それを舌につけると、かすかに甘い味がした。
「ホントだ! すごい甘い!」
私は、目を輝かせて驚く。
もっと甘いお菓子はいくらでもあるだろう。
けれど、そのとき舌先に感じた味は特別な気がした。
「軽く吸うと、もうちょっとだけ甘いよ」
言われた通りに、チュッと吸うともう少しだけその甘さは楽しめた。
あとは無味だった。
一瞬だけの貴重な甘さ。
そうして、私たちは花の盛りの間、小学校の帰りにツツジの花を吸うのを楽しんだ。
ピンクのツツジを口にくわえて楽しそうに歩く少女たちの姿は、大人から見ればかわいらしく微笑ましかっただろう。
当の本人たちは、それを煙草を吹かす大人の真似と称して盛り上がっていたことなど知る由はない。
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ひよりちゃんは、色々な知識を持っていて、頭もよく私からすると羨望の的だった。
けれど、リーダーではなかった。
何人か集まった時、ひよりちゃんは参謀で私がリーダーということが多かった。
小学生時代は、とかく足が速く行動力がある者がしきる傾向がある。
ガキ大将の女版みたいな小学生だった私も現在は、凡庸なただのつまらない大人になった。
人の前に立ったり、誰かの代わりになにかを決断するような重要な役割はもう回ってこないだろう。
だからこそ、あの頃のことを思い出し気付いたことがある。
頭のいいひよりちゃんが、なぜ私について来てくれたのか?
それは、ひよりちゃんの言葉を信じ何のためらいなくツツジを口にする私を、彼女もまた信じていてくれたのだと。
あのツツジの花の蜜は、きっと信頼の味だ。
お わ り
※ 以前はツツジの蜜は、子供の遊びの一つとしてよく行われていたものですが、現在はツツジの花の一部には毒性があることが分かっています。
毒のある品種と、そうでない品種の見極めは難しいそうなので口にしないことが推奨されていますのでご注意ください。