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弱いけど、足掻いて生きて

2時間20分
元々は一時間だけの予定だったけど、話が盛り上がって結局その人と倍以上の時間話した。その人のことを先生と表す。先生とはほぼ初対面で、一度お会いしてお話は聞いていたけどきちんとふたりで対話するのは初めてだった。緊張していたし、話し始めはきちんと受け答えしようと必死だったから、今思うと頓珍漢なこと言ってたかも。

それでも先生の話を聞いていたら涙がポロポロ流れた。自分も泣くなんて思っていなかった。先生も少し驚いていた気がする。涙を止めることなんてできなかった。普段は表現できずに押さえつけていた感情爆発。

「9.11が起こった時に悲しくて。自分一人の命で百人救えたらよかったのに」

先生が言った言葉で、自分の中に飛び込んできて胸に突き刺さった。その言葉がきっかけで、思っていても中々言えなかった言葉がぽろりと出てきてしまった。
「私は英雄やヒーローにはなれない。でも自分の命で100人の人を救えるようになりたかった 」

今はこんな世の中だし、未来は明るくない。
私は幸福に向かって生きていない。
誰かの不幸と別の他人の幸福がトレードオフだと思っている。誰かが今笑っているのは、どこかで別の誰かが苦しんで涙しているからだ。
そう思って死神と同居しながら生きている。今この暗い部屋を照らす豆電球ほどの小さな光を一杯集めて、その光を希望と称して、切望して、縋ってなんとかぎりぎりを生きているのだ。

だから余裕なんてなくて、「誰かを救う」ことが難しい。救いたいと思う自分を何と傲慢なのだと嘲笑している自分がいる。多重人格ではないのだけど。

英雄やヒーローや、強く生きる何者かになることをあきらめた私に、先生の言葉が刺さって、言葉と涙が溢れ出た。感情がぐしゃぐしゃして悲しかったのか悔しかったのかはわからない。少し落ち着いたら先生が、諦めることないじゃない私は20年かかったよ、それにあなた足掻いているじゃないと言った。先生は私の感情を引き出す天才か泣。

書き忘れていたけど、先生って本当に憧れる生き方をしている。能力も高くて、すごい働けて、きちんと成果も出している方。それでいて私はまだまだ、やりたいことに能力が追い付かないと言う。

そんな方が、しかも会ってきちんと話して1時間強くらいで、こんなにも感情を揺さぶってくるのかと。(今思うと私も情緒不安定で、それに加えもとから涙脆いから、思いがけず言い当てられてうわーーってなったのもある) でも先生が私の弱さを受け止めて、きちんと向き合ってくれてすごく嬉しかった。

社会で生きるには強くならなければならないと思っている。そういう若者が望まれているから。
自由を得るためには努力しなければならないと知っている。でないと責任を果たしていないとみられるから。
だから足掻いて足掻いて、弱さを捨てて強さを得る必要があると思っていた。

いろんなことをしてきた。でもそれは「挑戦したい、成長したい」からではない。息苦しくてここが生きる場所ではないと思うから。自身の居心地のいい場所を探しているだけなんだ。だから弱さから出発している私は繕って鎧をまとっても、中身が弱くてずっとボロボロだ。

そんな風で、弱さを抱えたまま生きていいよなんて直接言われたことなくて。amazarashiの歌でジュブナイルはそういっているけど、自分に言い聞かせるように、麻薬を摂取するように聞いていた。薬物摂取したことなんてないけどさ笑。「君が嫌いな理由を背負った君のまま成し遂げなくちゃ駄目だ」ということが正しいと信じ続けるために聞いていた。

先生に弱さを抱えたまま、自分でできることを精一杯してと言われたら、安心と難しさとぐちゃぐちゃになって。でも少し希望は見えたのかもしれない。先生がそうやって生きているから。
先生は私の知らないところで死ぬほど努力をして、沢山他人に否定されているのだと思う。だからかっこいいとか一言でまとめられないけど、命を燃やして泥臭く生きている先生が生きているこの世界はもしかしたら捨てたもんじゃないかもしれないと思ったのだ。偉そうだけど笑。日々世界に傷つけられているのだからこれくらい言わせてくれ。

私の世界は暗いし明るくないよ。いまだに幸福なんてわからない。
でももしかしたら、希望はあるのかもしれないし、思っているより人生は美しいのかもしれない。そう自然と思えた。

れいな


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