こんばんは!2ヶ月ぶりにnote書きますメンバーの北川です
2日前にENGAWA化計画の忘年会を開きました。今年様々な場面でお世話になった方もはじめましての方もたくさんの方に来ていただき、とても素敵な空間になったなと今思い出しても、幸せな気分です。
その忘年会の準備中にあるメンバーが”揺らぎ”についてシェアをしてくれたので、そこで自分を振り返り感じたことをまとめたいなと思っています。
シェアの内容について詳細は省きますが、言葉から感じられるニュアンスが双方で異なったために想いが掛け違ってしまい、それらを丁寧に対話を通して、かけ直していく様子と、その中で彼女が感じたことを彼女の柔らかく丁寧な言葉で私たちにも伝えてくれました。
そのシェアを受けてある方はこうコメントをされました。
素敵なのは早まって結論を出そうとせず、しっかりみんなで揺らいでいるところだな、と思う。だって揺らぎなんか不快だから。自分だったらすぐにそこに終止符を打ちたくなってしまう。何が理解できたわけでも結論づけられたわけでもないのに、しっかり”わかられた”ものがある気がして、本当にすごいと思った。
(すごく共感した部分があったので引用させていただきました。)
私は今年ある人との関わりの中で後悔が残っている場面があります。この人とはもう一緒にはいられないんだなと一方的に結論づけて、関係を終えてしまいました。もっと2人で話していたら、何か変わったかもしれないと今でも考えるときがあります。
私は自分一人で結論を出すことが多いです。結論っていうとかっこいいけど、諦めてしまうんだと思います。それ以上踏み込んで、相手から自分のことを否定される言葉を聞くのが怖くて仕方がなくて。それならいっそ自分から閉ざした方がいいと思っているんだなと気づきました。
また、揺らぐって答えがなくて、どうあっていいのかどっちつかずの状態だと思います。強くあることで自分の存在意義を保ってきた私には、その答えを持っていない不安定な状態は弱さそのもので、そうあること自体が怖いんだと思います。揺らぐってことはとても体力がいるし、ある意味で強くないとできないことなのかもしれません。
少し覗き見させていただいた4名の方々が揺らいでいる姿はとても素敵で愛おしいものでした。今こうしてつらつら書きながら、私も少しずつ揺らいでいるのかもしれない。今回は結論が出ていないですが、それはそれでよしとしてnoteを終わらせてもらおうと思います。
それでは良いお年を。
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