何かを失ってでも書きたいと思った本当の自分について。
尼崎ENGAWA化計画メンバーの大下です。
今回はちょっと勇気を振り絞って自分をさらけ出そうと思う。
ヘルニアが悪化して思うように歩けなくなったりインフルエンザにかかったりで、ここ最近は家に引きこもりがちの生活をしていた。
尼崎ENGAWA化計画に関わりはじめてから約5ヶ月間、ずっとブレーキを踏むことなく色々取り組んできていたから、これだけの期間ゆっくりするのは久しぶりだった。
そのせいかなんだかずっと張り詰めていた糸がぷつんと切れてしまったかのように、何もかも手につかなくなって心がかえってこなくなってしまった。
そんな自分が情けなくてダメだなぁと思う。自己管理もできないし、色々放り投げて無責任だと責め続けてしまう。
こんな状態で人に会うのが嫌で、さらにシャットダウンしてしまっている日々。会うのが嫌というよりは、何もできない自分に対して存在価値を感じられないから"会えない"のだと思う。
私の原動力はいつも「誰かのために」「誰かに認められたい」だった。
誰かが悩んでいるときは寄り添いたいと思う。こころがあったかくなる瞬間をつくりたいし、つらいときは一緒に涙を流したい。考えていることの一歩先の行動をとって、こころにポッと小さな感動を生み出したい。
何かモヤモヤがあったり言いたいことがあったときにそれを1人で我慢するのではなくて、あの人にだったら話せるかも...という安心をつくりたい。私を吐き出し口にしてほしいと思う。だから誰かが相談してきてくれたりするととっても嬉しくなる。少しでもその人にとって何か支えになれているのかもしれないと思うと幸せな気持ちになる。
「気遣いができてすごいなぁ。」「優しいね。」「良い子だね。」「いつも全力で頑張ってるね。」
そう言われるとどこかほっとした。でもそれと同じくらい苦しかった。
自分を表現できるものがそれくらいしかないから。自分の存在を示すために必死にしがみついていてもがいているのだと思う。
人に尽くさないでいることが怖い。そんな自分を想像すると、右も左も言葉も全く分からないところにポイッと投げ込まれたような感覚になる。
同じ場に気遣いできるひとがいるとき、自分がそこにいる役目がなくなってしまうように(空気になってしまうように)思えて、心のどこかでいつも焦りを感じていた。
誰かのために動くことを、自分のためだと錯覚させていた。もちろん身につくことはたくさんあるし、自分自身もそれを楽しいと感じたりいろいろ吸収できているとも感じている。
でも自分がいなくてもその場が動いているのをみたり、ふと冷静になった瞬間、今までなんのために必死になっていたんだろうとかやっぱり自分には存在価値なんてないんだという虚無感に駆られてしまう。
体調を崩したり何かがきっかけで一度離れて、その場に戻れなくなるということは今まで何度かあった。
行こうとしても身体が動かない。行きたくないと心が叫んでいる。それを無視してでも行こうとすると発作を起こしてしまう。
必死に頑張ってきた分、良い子でいようとした分、信頼してくれたり期待してくれていた人もいたと思う。その人たちを裏切ってしまう罪悪感や自分の弱さにむしゃくしゃして全て投げやりになってしまう。勝手に自分でやっていることなのに、なんて傲慢なんだろう。
自分をずっとつくってきた。
もちろん今の自分が全部偽りというわけではない。人に尽くしたり喜んでもらいたいというのは本心だし、無意識のうちに誰かのために何かをしたいと思って動いている自分も確かにいる。変化に気付けたり、細やかなフォローができるのは強みでもあると思っている。
でもきっと本当のわたしは、もっともっと頑固でめんどくさがり屋で自分が中心でいたくて人に対して攻撃的で所詮他人なんて裏切るものだと思っている。そんな自分を心の奥底に封じ込めて生きてきた。
人と深く関わって心を開いていくとボロがでそうだから、ずっとある一定の距離を保ってきた。踏み込ませなかった。
人からの優しさも弾き飛ばしていた。こんな根が腐っている私には優しさを受け取る資格なんてないし、どうせ上っ面の言葉だろうと思って身体に染み込ませなかった。
でも、今回シャットダウンしてしまっている間にメッセージをくれたり、時には厳しい言葉を送ってくれた人がたくさんいた。
いつもなら罪悪感でいっぱいになって壁を作って逃げていたけど、今回はどこか違っていた。染み込んできた。時間はかかるかもしれないけど逃げたくないと思った。
誰かのために生きることで、心から幸せを感じられるわたし。
誰かのために生きることで、自分の存在を示しているわたし。
誰かのために生きることで、本当の自分を殺しているわたし。
どれも本当のわたしだと思う。全部ちゃんと受け止めて認めてあげてバランスを上手くとりながら、自分が心からやりたいと感じることやワクワクすること、大事にしたいものはなんなのかをこれからは問いかけていきたい。
明日で22歳。今までの21年間も大切にしながら再びエンジンをかけていこうと思う。
いつか、このnoteを見返した自分が、「もう大丈夫だよ。」と声をかけてあげられていますように。
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