人と関わるということ。
きどです。今回は僕が最近感じた人と関わることに対する考えについて話してみようかなと思う。
人って弱くて、もろい存在なのかなと思う。知らんけど。でもそれらの弱みをどうしたら受け入れられるのかを考えことに人間としての価値があるのかなって思う。
僕は弱い人間だと思う。人と関わるのは恐い時も楽しい時も嫌なときもある。だから居場所とかについて考えてるんだと思う。僕は居場所がなかった、居場所が複数ほしいと思ってたのだと思う。そして僕は人として成長したい、変わりたいと思う一方でどこか変わることを恐れているだと思う。
なんで変わることを恐れているのか考えてみると、きっと僕は心のどこかで人から否定されることを恐れているのだと思う。soarの工藤さんの考えにとても共感できるのだと思う。(soarはいつも読ませてもらってます、素敵な記事をいつもありがとうございます!!soarのインターンしてる学生と話せる機会いつかないかな~。)
人を信頼できるためにはどうしたらよいのだろうか。いや別に人間不信というわけでは全然ないんやけど。でも、しんどさを抱えながら生きてるときもあるしな。僕がしんどさ感じる時は2つあるかなって思う。
1つ目は自分の愚かさに気づいた瞬間だと思う。去年の9月頃かな、自分は全然人に優しくないんやな、自己中な人間やなって思ったのは。でもそのことに気づかせてもらったから、今までよりも優しさって何なのかなって考えられるようになったのは。そー言えば、今年1年お世話になった社会人の先輩が「人って孤独なんだよね」ってぼそっと言ってたな。その時はその言葉の意味がよく分かってなかったけど、今なら少し分かる気がする。
人は元々孤独だ。孤独だからこそ寂しさを感じ、居場所がある人を羨ましく思うから居場所を求め、人と関わろうする。人と関わることで優しさを感じる一方で時には傷つき、怒り、悲しむことも多くあるのかなって思う。そして人と関わりながら自分自身とも関わり続け、永遠に自分自身と向き合いながら生きていくのかなって思う。
こんな風に今なら思うかな。
そして、2つ目は、組織に属していながらも自分の居場所がない。つまりしんどい時に「助けてほしい」って言えないときかなって思う。これからの時代もっと弱さを共有できる社会になってほしい。弱さを見せることって本当に勇気がいることなんだと思う。でも、自分の弱さやしんどさを共有できるようにすることっていきなりは無理だと思う。だからこそ普段の何気ない会話を大事にして、会話から相手の感情、想いを組み取って、居心地の良い距離感を見つけられるようにすることが大事なのかなって思う。そのことの積み重ねが弱さの共有に繋がり、居場所となっていくのかなって。
以上。なんかちゃんと文章まとまってるか分からんけど、人と関わることについて考えてみました。
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