TRPG
こうして部屋の片隅が世界の全てのように感じてしまう時代になって、改めて「TRPG」というものの存在が心地の良いコミュニケーションアイテムであったことを実感する。
古びた雑居ビルの中で、がらんどうとなった中層階に蔦を巡らせるように蔓延るレンタルオフィスの片隅を借りて、思考の巡らなくなる酒はNGにして駄菓子とジュースを持ち寄ってさあ始まりだ。
ワンナイト人狼、ワードウルフ、ごきぶりポーカー、テストプレイなんてしてないよ、エトセトラ。
テーブルと人数さえ合えば何時間でも時間を回せる。なるほどボードゲームやTRPGがセッションと呼ばれるのも頷ける。思考と思考をぶつけ合わせて楽しい空間を組み立てていくものなのだから、確かにセッションだ。
私は数あるボードゲームの中でも、「ワンス・アポン・タイム」というゲームの思い入れがとても強かったりする。どんなゲームかといえば、手札のカードを出し合って物語を作り、最後に綺麗な着地をさせて「おしまい」と言えば良い。物語の起点を作って順調にカードを出していく中、突如として挟まれる転、転、転、転……。
物語が破綻しないギリギリを攻めながらも手持ちのキーワードを元にそれぞれが紡いでいく物語は読書以上にワクワクする。
こういうところでも創り上げることとか、誰かと自分のエゴをぶつけて混ぜ合わせたりしているのだから、自分はこういう性分なのだと思う。人が好き、人が考えていることが好き、そして自分が好き。自分と他人が混ざり合ったものが好き。
こうして考えると、自分の起点はやはりTRPGなのかもしれないな、と思う。
シナリオを書いて、プレイヤーとして自分の描いた世界を歩いてもらう。まあ、学生時代で物語を破綻させるような乱暴者も多かったので大体は志半ばバッドエンドがほとんどだったけれども。
サイコロのカラカラと鳴る音を聴いて、一体どんな展開になるだろうとワクワクする自分が好きだった。
自分の描いたシナリオの先に飛び出てゆくプレイヤーを期待しながら、そんな思いも寄らないロールプレイングをする人物を求めて……。
今ではルールブックも本棚に挿さっているだけだけれども、今でも自分のTRPGは音楽という形で続いているらしい。
下書きにどんな色を載せてくれるだろう。
腕がもう一本生やされているかもしれない。
背景のビルに蔦が生えて、廃墟のようになっているかもしれない。
そんなことを考えるだけでもうワクワクは止まらない。
レモンサワーを飲む手を止めて周囲を見回して、今自分がたった一人部屋の片隅でこれを打っていることに気がついた。ひどく深いため息が出た。
良い、大丈夫。一人でだって遊べるよ。
本音だけど、自分の孤独が生んだ「好きなもの」が繋がっていくのも好きなんだ。
だから、またいつかこの創作活動が、誰かとのめぐりあいに繋がっていることを祈っている。
私と、誰かと、誰かと、エトセトラ。
ロールプレイングを楽しんでくれる人を、いつまでも。
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