Visionの実現、漸進、飛躍
Visionとは何だろう?Visionを成し遂げるためにどうすれば良いんだろう?最近自分の中でモヤモヤしているので、ここまでの自分の脳内を一度言語化してみる。
Visionとは
辞書を引いても色んな意味が並列に並んでいるだけなので、語源を調べた。
c. 1300, "something seen in the imagination or in the supernatural," from Anglo-French visioun, Old French vision "presence, sight; view, look, appearance; dream, supernatural sight" (12c.), from Latin visionem (nominative visio) "act of seeing, sight, thing seen," noun of action from past participle stem of videre "to see," from PIE root *weid- "to see." The meaning "sense of sight" is first recorded late 15c. Meaning "statesman-like foresight, political sagacity" is attested from 1926.
https://www.etymonline.com/word/vision
Visionは、会社・国家など組織集団の文脈で語られる前は「幻覚」や「夢」のような使われ方をしていた言葉だ。例えば旧約聖書でモーゼが燃え盛る柴に見た神の像はVisionである。
"Moses taking off his sandals" by Nick in exsilio is licensed under CC BY-NC-SA 2.0
転じて、企業活動や事業活動においても、将来像がシャープに見えれば見えるほどそれは強いVisionである。それは妄想でもあるし、幻覚に近いものでもある。
ふと考え事をしてると精神が別の世界にテレポートしていて、そこでは今の世界より何かが改善されてる状態。はっとして元の世界に戻ってくると、あの世界の状態までこの世界を持っていかないとという使命感に駆り立てられる。
きっと起業家であれば多くがそういう経験をしているはず。それこそがVisionだ。
スタートアップのような創造的な起業は、現状の世界の状態をそのVisionで見た世界の状態に(主に資本主義的手法で)推し進めるミッションを背負う選択である。リーダーは自分の脳内に投影されたVisionをいかに言語や視覚で可視化し、そのVisionを他人に共有し共感してもらうかに務めるのが責務の大きな割合を占める。
未来を予測するVision
正直、普通に考えていけば未来予測なんていくらでもできてしまう。とりあえず今の世界の全ての物体・行為・活動のうち、長期間同じ状態のままで維持されているものを「それの時間が短縮され便利になったらどうだろう」と差し替えるだけでいい。今ぱっと考えるだけでも
・風呂と歯ブラシは一瞬で終わるようになる
・飯を食べなくても栄養をとれるようになる
・自宅から目的地まで歩かなくてよくなる
・意思疎通するのに言葉を選んで言語を使わなくてもよくなる
・人間同士が物理的に傷つけ合う争いはなくなる
ぐらいは一瞬で出てくる。もうちょっと考えればいくらでも予想はできるし、すでに世界のどこかの誰かが実現に向けて行動し始めてるものも多い。
目を閉じてそれが改善された世界を強くイメージすることができればそれはVisionだが、全てのイメージ可能なVisionを解決しようと思う人はきっといない。俺は歯ブラシしながらめんどくさいなと毎日思うが、別に歯ブラシの効率化のために命を賭けて起業しようとは思わない。発売されたらすぐ買うけど。
では見えてくる様々な未来像や世界線の中、「これは実現に向けて行動しよう」と共鳴するとしないものがあるのは何故か? 好みか?
それは最終的に人と人の恋愛と同じようなもので、人類の現在の叡智を以ってしてもわからない領域かもしれない。だが恋愛と一緒で、見えたVisionにビビッときたら、それは絶対に突き進むべきである。
きっとこの世のどこかには歯ブラシが効率化された世界にワクワクを禁じ得ず命を賭けて起業する人がいるはずだ。
Visionの実現と事業活動
資本主義上の企業活動は最終的に営利。ROI、つまり「いくら資本を投入したらそれが何%増しで返ってくるか」というシステムを構築する活動である。
だがせっかく毎日の大半の時間を捧げて働いてるなら単純な金銭のROIだけで測りたくない。投入資本が何%増しで返ってくるかと同時に、世界をもともとVisionとして見た未来像にどれだけ近づけられたか、を同時に企業活動の成果として測っていたい。
金銭ROIの最大化だけなら、より効率の良い手段はこの世に沢山あると思っている。そもそもこんなにVisionについて考えるより効率の良いROIの産み方に思考を巡らせていた方が自分の時間の有効な使い方のはずだ。
課題というもの
ここまでVisionについて偉そうに書いているが、では自分の日々の事業活動やプロダクト開発が100%そのVisionに最短距離で進むものになっているか?残念ながら答えはNO。消費増税のシステム対応のような完全に外の世界から降りかかってきた事業存続のための止むを得ない案件もある。
が、それ以上に悩ましいのが顧客の存在だ。
顧客は偉い。顧客こそが元々自分がVisionの中で幸せになっている姿を見た人物なはずだ。ではなぜ顧客がVisionの最短距離の実現を阻むのか?それは、製品・サービスを提供すると必ず課題が発生するからである。
課題とは、想定通りに動かないという不具合や、「製品Aを提供した際にそれの補足機能のA'も欲しい」という派生的な要望など、既存の製品をベースにした様々な改善の欲求だ。
こういった課題を解決していく活動は基本的には漸進的な活動である。
なぜか?一つ課題というのは既に課題スコープが定まっており、それに対する解決策を提供することは課題スコープと1:1でマッピングされる大きさのものにしかならないからである。課題のスコープを超えた解決策を提供することは通常は「スコープを広げすぎ」であり「オーバーキル」である。
提供してる製品から派生する課題を一つ一つ解決をし続けることでVisionにたどり着く事ももちろん可能だ。例えばAppleがMacintoshを顧客の要望に合わせ少しずつ小型化させていっていればいつかはiPhoneというモバイルコンピュータの形にたどり着けている可能性はある。ただこれはあまりにスピードが遅い。
漸進では遅いのだ。
飛躍
なので、一定頻度で顕在課題の斜め上を行く段階的、飛躍的な発想と実装をしなくてはいけない。そうしないとVisionで見えてた世界が近づいてこないからだ。
ただ厄介なことに、課題解決的・漸進的手法に慣れてしまっている日常の事業運営の中ではこの飛躍はリスキーすぎると捉えられてしまう。「本当にその飛躍がVisionの実現につながるのか?」と見えにくい事もある。それはそうだ、何も証明できるものがないのだから。
「ではLeanな検証をしよう」と提案することはできる。だが、飛躍的なものはLeanな検証においても具体化された製品を見せないと、検証対象の潜在顧客すらも理解できないものもある。Appleの例に戻ると、マルチタッチもなく動くカメラも搭載できていないハリボテのiPhoneのようなものを「まずは検証」と顧客に握らせたところで、その顧客は現代のスマホ中毒の人類のように熱狂するだろうか?そのポテンシャルを正しく計測できるだろうか?
上記の例や問題点は頭と時間をしっかり使えば解決可能なことだ。
だが残念ながら今の自分にはまだそれを考え抜き、Fammが掲げている「家族の絆を深める」というVisionの実現のために飛躍を有効活用できていない。まだまだ漸進的なプロダクト開発に傾倒してしまうことが多い。
これは自信のなさから来るものではない。漸進的進化は見返りがわかりやすいのだ。困ってる顧客がいて、その人の課題を解決してあげるのは純粋に嬉しい。そういう人たちを見捨ててリーダーが独りよがりな「プロダクトはこうあるべき」論に突き進むのはおかしい。
だが先述したように、それだけやっててはスピードが遅い。では漸進と飛躍はどの程度のバランスでやるべきか?「今が飛躍の時である」というタイミングを捉え強い意思決定ができる確信はあるのか?苦しいが今はまだ答えはない。
ただ上記はあくまで自分一人の話。Timersという企業としては今まで何度もそういった飛躍的発想を実現することができ、それが企業としてのフェーズを一段押し上げたケースがいくつもあった。そういうケースがFammの、そしてTimersの競争力の源泉でもある。
問題はそれの再現性を高めること。
ここが自分のリーダーとしての成長のタイミング。
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