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【幸福のアラビア】イエメン2002旅【世界最古の摩天楼】あの天才少年は今
2002年イエメン旅の記憶
2002年11月、私は、アラビア半島南端のイエメンを旅していた。
現代では、アラビアの最貧国、長く内戦で混乱している等のマイナスイメージが強いイエメンであるが、かつて、古代ギリシャ・ローマ時代には、「幸福のアラビア」と言われたほど、人や物の交流・交易で繁栄した。その繁栄の中心であった「世界最古の摩天楼都市」サナア旧市街に、私はいた。
城壁都市であるサナア旧市街入口「イエメン門」前は、多くの人であふれていた。イエメン門を入ると商店が並びさらに多くの人で賑やかだった。
人々は、明るく、賑やかで、穏やかで、経済的には貧しいかもしれないが、幸せそうにみえた。かつての「幸福のアラビア」の雰囲気だった。
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「イエメン門」にたどり着くまで、いろいろと大変だった。
出発前、イエメンのマイナスイメージから、周囲の人から反対された。
イエメンに行くと家族・友人に言うと、危険だからやめておけと言われた。ほとんどの人は、イエメンについて、戦争や貧困、危険といったイメージしかないので、渡航をしないように言われるのは当然だった。
2024年現在、日本国外務省は、危険レベル4退避勧告を出しているが、2002年当時は、南北イエメン統一から10年ほど経過して、比較的安定していた時機で、危険レベル3(できれば行かない方がよい)程度だったと思う。
この時機を逃してはならないと思い、「アラブの中では、最貧国だが、国民性はアラブ1良い」との誰かの言葉を信じて、「幸福のアラビア」「世界最古の摩天楼」「最高のモカコーヒーの香り」などの良いイメージばかりを膨らませて、イエメンにやってきたのであった。
イエメン入国に際しても、かなり大変だった。首都の空港に着いて、入国審査に3時間以上かかった。パスポートに数年前訪れたイランの入国スタンプがあるということで、審査に時間がかかったのだ。当時、外交関係が良くなかったイランのスタンプは、問題を引き起こすことがあると聞いてはいたが、実際に、入国拒否されそうになるとは思わなかった。その時は、予約していたホテル関係者の取り計らい等もあり、なんとか入国できた。
イエメン入国初日には、サナアの新市街にあるホテルに泊まり、翌日、すぐに、「世界最古の摩天楼都市」にやってきたのである。「イエメン門」着
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イエメン門からサナア旧市街に入ると、城壁に囲まれ、狭い通りには商店が建ち並び、人々が行き来して、賑やかだった。危険な雰囲気はなく、「幸福のアラビア」的安心・安全な街だった。
人の多さに、スリでもいるかもしれないと少し心配もしたが、すれ違う人々は、穏やかな笑顔で、とても良い雰囲気だった。すれ違う若者の多くは、カメラを持った日本人に写真を撮ってくれとポーズをきめるのであった。商店の人にも写真を撮るよう笑顔で要求された。モノを買えというのではなく、写真を撮れ、中には、ただで見知らぬ旅人に商品をくれる人もいた。
危険・貧困などのマイナスイメージのイエメンはなかった。とても幸せそうな良い雰囲気の世界遺産の街だった。
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イエメン門から賑やかな商店街を歩いていると、多くの若者、商店の人に、声をかけられ、人混みもあって、進むのが大変だった。
商店が少なくなった辺りで、少年に声をかけられた。英語で話しかけてきたその少年は、10歳だと言った。無料でガイドをすると言った。ガイドはありがたいが、自由気ままに一人で歩くのが好きなので、ガイドはいらないと断った。
珍しい異邦人に小さな子供が面白おかしくまとわりついてくるのもうっとうしいと思ったので、お断りした。それでも、少年は、英会話の練習がしたいので無料でガイドをさせてほしいとねばった。私は、やりとりをするのも時間がもったいないので、勝手についてくるならOKだと言った。
異邦人が世界最古の摩天楼の街を気ままに歩くのを、少年はついてきた。
古い壊れかけの石造りの建物の間を歩きながら、時々、歴史的建物の説明をした。世界遺産の街なみは、かなり傷んでいて、補修・修復が必要な建物が多かった。
その時は、すでに、世界遺産になっていたが、2015年には、危機遺産に指定され、本格的に修復が必要となったようだ。
少年の説明を受けると、次に、歴史的公衆浴場や歴史のあるホテルなどに案内してくれた。建物内部まで、入って、いろいろと説明をしてくれた。
一人で気ままに歩いていたら、多分、入ることはなかったような建物の内部まで、連れて行ってくれた。途中、観光客も地元の人もいない、歴史のありそうな古い喫茶店にも入り、コーヒーをいただいた。モカ・コーヒーだったかどうかは今の記憶では、はっきりしないが、なぜか、お店の人は、お金をとらなかった。お店ではなく、普通の家だったのかもしれないと後で思った。
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2002年11月某日 世界最古の摩天楼都市を歩き回った
自由気ままに歩いていたが、途中から、英語など5カ国語を話す10歳の少年にガイドをしてもらった。半日近く、歴史ある街並みを歩き回った。
少年は、英語でいろいろと説明をしてくれた。かなりしっかりした流ちょうな英語だった。こちらの方が、片言の英語だった気がする。
なぜ、そんなに英語が上手いのかと尋ねると、6歳くらいから外国人旅行者相手に会話をして、家で本も読んで、少しずつ上達したとのこと。
10歳の英語力に驚いた。さらに驚いたことに、この少年は、英語以外にも、フランス語、イタリア語、ドイツ語も話す、母国語のアラビア語も含め5カ国語をあやつるすごい語学能力の持ち主だったのだ。カタコト旅行英語会話のおじさんにとって、10歳のイエメン少年は、天才に思えた。
10歳の天才少年と出会い、世界最古の摩天楼都市のガイドをしてもらい、私は幸せであった。まさに、「幸福のアラビア」を旅した。
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天才ガイド少年には、始めに無料だと確認していたので、ガイド料は渡さないことに決めていた。イエメン門で別れる時、「これは、辞書代だぞ」と言って15米ドルを手渡した。少年は、少し怪訝な顔のあと、笑顔になった。
私は、サナア新市街のホテルに戻ると「50ドルにすべきだった」と後悔、反省した。
天才少年と出会ってから20年以上経った。あの少年は、今、どこで、何をしているだろう。30歳にはなっているはずだ。立派に成長して、天才的能力を生かしているだろうか。そうであると思いたい。きっとそうだ。
イエメンの世界最古の摩天楼都市では、多くの良き人と出会った。あの時の
あの人たちは、今も、明るく穏やかに良い人生の旅を続けているだろうか。
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2024年5月
今、2002年11月のイエメン旅の記憶をメモしている。
世界最古の摩天楼都市であったサナア旧市街を、語学の天才少年に案内してもらい、「幸福のアラビア」をいろいろな意味で感じた旅だった。
あの旅から20年以上経ったが、この間に、イエメンは、再度、内戦状態になり、経済的、社会的に混乱していると聞く。
世界遺産だったサナア旧市街は、2015年には危機遺産に指定されてしまい、内戦等で一部は相当ひどい状態になっていると思われる。
2002年当時は、イエメンにとって、比較的平和な安定した時機であり、その時機に、イエメンを旅できたことは、私にとって幸せな出来事であった。10歳の天才少年との出会いは、特に、記憶に残っている旅の良い思い出であるが、それ以外にも、イエメン旅では、興味深い、不思議な出会い・出来事があった。それらについても、改めて、記憶をメモしてみたいと考えています。
あの天才少年は、今、何をしているだろう。幸せに生きているだろうか。
30歳に成長したあの少年始め多くのイエメンの人々が、かつての「アラビアの幸福」の時代のようになって、人生の旅を続けてほしいと思います。
(2002年11月イエメン旅世界最古の摩天楼都市天才少年 追記)
2002年11月は、イスラム教の国において、ラマダン断食月でした。
そのことを知らずに、イエメンを旅して、いろいろと面白い経験をしました。その関係の旅メモを近いうちにしたいと思います。