儚い
しんどくて命って何時まであるのかと思いを巡らすとき、
二つの話が何時も脳裏を過る。
ひとつは成人式に遺影で現れた同級生のこと。
小柄な彼は、小学生までは真面目で大きな一軒家に動物をたくさん飼っていた。
一度だけ遊びに行ったことがあったけど、
猫がピョンとこちらに飛び付いてきたので、思わず避けた勢いで机に飛び乗ってしまった。
何て失礼なことをしたんだろうと思うが、
親御さんがいなかったのでそっと降りて事なきを得た…。
そして突然彼は中学になって不良になっていた。ガチガチの不良ではなかったけど、
荒れていて、数年後にはこの世から姿を消していた。
どんな苦悩があったのかなと思ってしまった。
もうひとつは担任かつ美術の顧問だった先生の教え子の話。
その人は油を被って焼身自殺をしたそうだ。
まだ若いはずだけど。
そしてその話を卒業式の当日に教壇で私たちに餞として送った。
その人はいつも奇抜でセンスの無い服装をしていた。
でも、画材を他人から借りることについて厳しく叱責をしていた。
『使った絵の具をどう返すのか、返せないだろう』
修学旅行で禁止されていたお菓子を持ってきていた女生徒が集められた時も、PTA会長の娘が、友達がその場にやってきたのを見つけ、手を振っている姿を見、手にしていたバインダーで頭を叩いていた。
そういったところに筋を感じていて好感を持つ少ない先生だった。
でも、社会人になって1度その先生とご飯を食べた時、
『そんな生活していてこれからどうするんだ?』
と言われて頭をガンと殴られたような気がして不安を煽られた。
その時の私は働かない母と2人で、毎日自分を殺してしんどさの境地にいた。
お嬢様育ちのその先生には全く以て理解し難い境遇であったのは確かだ。
だけどその時に
『この人は、教え子の焼身自殺からなにも学んでないな。』
と申し訳無いけど思ってしまった。
そしてそこからこの先生とは連絡を絶った。
他者を指揮する立場の人には、一生分からないことがこの世の中には多すぎることを身をもって感じた逸話でもある。
人が人を救うこともあるが、無意識にどちらかといえば奈落の底へ突き落とすことの率の方が多いと思う。
勝手に傷付いているだけじゃないかと言われればもちろんそうかもしれない。
ただ、生傷から血を流している人への言葉のかけ方はやはりその人柄を顕著に現すものがある。
傷を負ってる人間には、正論は薬ではなく毒となる。
傷をより深くしないためには、その人から離れるしか術はない。
そういった幾重にも渡る経験によって、
人への洞察や自身の壁の厚さは形成されていくのだと思う。
秋にはいつもなぜかこの話を思い出す。