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混沌

少し考えさせられる出来事があった。


人はやはり、『素直で実直で誠意を見せるべきである』と幼少期から習い、嘘を忌み嫌う。


ただ果たしてそうだろうか。


自分の正義が、相手に正義で伝わるか、それは必ずしもイコールではない。



相手の誠実さ故に、浅傷で済んだ傷が深く抉られることに皮肉ながらなることも多い。



自分が悪者になって、嘘をついて相手の傷を軽減させる術のために、気持ちが全く無い無味乾燥な伝え方をした方がかえって相手のためになることもある。


何故ならば素直に憤ることが出来るからだ。


あなたに想い人が居たとしよう。

その人に告白をして、相手も目を輝かせ、ニコニコとこちらをみつめてくれている。


『少し待ってね』


と言われ、多分両想いだろうな、でも分からないな…過ぎ行く日に心を幾日も委ねて待つ日々。


彼からの返答は如何に。


『あのね、君のこと、僕も大好きでたまらなくて好きで好きで仕方ないんだけど、君より一日前に告白してくれていた子が居て。

僕の中でどうしても誠実でいるためには、気持ちよりも早く告白してくれた子と付き合いたくて。。

それを君に隠すのも失礼だなと思って伝えました。大好きだけど、付き合えない、ごめんね。』



こう断られたらあなたはどう思うだろう。


彼の気遣いに感銘を受ける?

でも付き合わないんだったらだらだら説明いらなくない?

配慮や怒りやごちゃごちゃな感情に埋め尽くされると思う。


『やっぱ好きになれないから付き合えない、ごめん。』


こちらであれば素直に怒りや悲しみが表せるのだけど、前者はそうではない。


誠実さゆえの研ぎ澄まされた刃というものを

久々に痛感した出来事だった。



嘘は自分も相手もときには守ることが、できる。



個性があって素晴らしい、自分で誉められない人が日本人には数多くいます。それとと同時に自分の不快な気持ちも閉じ込めてしまう傾向も多く感じます。 私があなたの肯定感を高めるお手伝い、心の声を発掘するお手伝いをしたいと思います!!