今年最後の幸運期といわれ
堅実で腰が重く、なかなか動かない私が、
体に鞭打って無理をしたら祟って久々にダウンした。
体は至って元気だがメンタルがガタガタと崩れ、高校生の時の日課だったようにカゴ一杯にお菓子を詰めて購入し、バカ食いしてしまった。
良いこともあったのだ、9月の下旬から10月の頭にかけては私は幸せだなと思うことがたくさんあった。
たまたまの縁で知り合った人からアドバイスを貰って、来年の目標やロールモデルと成り得る姿を間近で見られたし、やってみたかったことに挑戦するための支援をしてくれると云う人が現れたり。
職場の人も相変わらず親切でストレスもなく行けている。
アプリでたくさんの男の人と出会って、刺激やこんな人たちが居るんだなと楽しい時間を共有出来たり。
ただ、楽しいだけあとから反動も来るわけで、それが昨日に噴火した。
新しい人と出会うことは楽しい花を咲かせる為の種を撒く行為でもある。
撒かなければ芽は出ないし、撒いたからといって、芽がでないこともあり得る。
こちらとあちらの意図が違ったり、見える景色や温度差が違ったとき、心の中の煌めきに一瞬にして緞帳が下り、真っ暗になったような気に昨晩はなってしまうやり取りがあった。
浮わついていたのは自分だけで、
こういう気持ちを味わいたくないから、私は異性と知り合うことを辞めていたのに、と。
ただ、拒絶されたわけでもないのだけど勝手にこっち期待した事柄があって、それと違う反応が返ってきてダメージを勝手に受けただけなんだけど。
そして同時にやり取りをしなければ一人に肩入れするからと、数人と連絡を取っていたのだけど、
『寂しいと思って連絡をしたり理解をしようと努めていた彼に依存していたのは自分の方だった』
それに気付いてしまって、自身に嫌悪感が物凄くなってしまった。
結局人を救うことで自分を肯定しようとすることの癖が抜けきってなかったんだと、押し付けがましいにも程があるなとしんどくなってしまった。
距離を取ろうと決めた。
そして先週、会社の人と飲みに行った。
これがまた最悪だった。
仲良しごっこは素面だから成し得るわけであって、酒が入ると本性が露骨に出る。
日頃は二人でニコイチよろしく、いつだって情報を共有しているが如くの間柄に見えていたけど、そうでは全く無かった、
一人が酔いつぶれても二件目に連れていってろくに世話もせずに喋り続けて
微笑みながら私に
『○○さんは大人だね。』と
どういう意味かわかり得ぬことを吐くような人。
その人のことを酔いつぶれた人は
『この人がいたから今私はここに居られる。』といつも言っている。
優しくてまっすぐな人はどこか抜けているから、こういうずるい人に搾取されるの、世の常だよね、とすごく嫌な気分になった。
『優しい人』
っていう形容詞は本当に信じられないし、人が見てるところでしかそういうことをしない。
ならば私は優しくなんか無くていい。
他人が見ているからその評価が欲しくて優しくなんかしない、他人を騙したりしたくない。
結局人は一人では生きられないし、居ても平気と思っていても根元は寂しさがあって。
ただだからといって人といればまたそれは別のストレスを生むわけで。
何が正解なんだろう。
今月が終わったら私の地獄の期間が来年の1月まで続くそうなので、今月はなんとか能面を付けて普通の人に擬態してたくさんの人と会うミッションをこなしたいと思います。