哀愁のカサブランカ
僕らふたりは、「男がピカピカのキザでいられた」あんたの時代に憧れていたのかもしれないよ、ボギー。
「セピア色した映画が好き
やさしくて哀しい愛があるから」
路上に張り出した安い中華屋の卓で油淋鶏をつまみながら、彼女は言った。
今にも落ちてきそうな灰色の雲が息苦しい、肌寒い梅雨の午後。彼女の肩にかけた僕のシャツには、赤い花柄が淋しげに咲いていた。
「Here’s looking at you, kid!」
冗談混じりに掲げたジョッキに、彼女は苦笑しながら自分のジョッキを合わせる。
塗るくなったビールを飲み干してから、小さく深い溜め息をついた。
お互い、恋に恋する歳じゃない。
叶わぬ愛に傷付いて、街をさ迷ううちに、いつの間にか出会った。
想い出ばかり積み重ねても
明日を生きる夢にはならない
それでも僕らは承知の上で、「恋人」同士を演じていた。
治りかけだがまだ痛む古傷を、慰め合うために。
僕らはいいパートナーだった。
SL広場の群衆は、みな僕らの虜。
僕らが踊う歌う毎夜、屋台の串焼きとビールはシャンパンとキャビアに変わり、騒々しいネオンの光は、砂漠の夜の遮るもののない、満天の星空のパノラマに変わった。
彼らも僕らと同じように、夢を見たかったのだ。
この機関車と同じように、線路はとうに切れてしまって、どこにも通じてなどいないとわかっていても。
この世は舞台。
人の世は夢。
しかしいつかは、幕を引かねばならない。
「We always have Shimbashi.
Here’s looking at you, kid!」
うつむく彼女の頬にキスをして、僕は席を立つ。
僕らが主役だった季節は終わり、世界は終幕を迎える。
もう辛いパントマイムを、続けなくていいんだ。
今僕は、最後のキスの涙味を肴に、ビールをあおっている。
あの日と同じこの街、この店で。
古くなって色褪せた写真でも、彼女の笑顔は眩しかった。
Oh a kiss is still a kiss in Casablanca
But a kiss is not a kiss without your sigh
写真の中の彼女に唇を合わせても、涙も溜め息も、ぬくもりも返っては来ない。
もう二度とあんなに誰かを愛せない…
※
inspired by
film:
“Casablanca”
song:
“as time goes by”
“casablanca”
『哀愁のカサブランカ』
『カサブランカ・ダンディ』