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センチなハードボイルドは「女」を「直視」しない-Under that hard-boiled shell of cynicism you're at heart a sentimentalist-

ハードボイルドに、憧れている。
そうなれないからこそ憧れ、時にひがんでしまうこともある。

そもそも「ハードボイルド」とは何か?
トレンチコートとハットで身を固めたタフな大人の男。
都会で闘う孤高の一匹狼。
このようなイメージがある。

今回はしかし、一般にはあまり指摘されない点を私なりに論じてみたい。
あくまで「私なりに」の解釈で、随分突飛な考察になるかもしれないが、ご容赦願いたい。

殻に隠れたセンチな中身

ハードボイルドという言葉は、「固ゆで卵」に由来すると言われる。大都会の厳しい社会、現実に熱され、固く鍛え上げられたようなイメージ。
しかしその「固ゆで卵」の中には、柔らかいままの、感じやすい「黄身」が隠れているのではないか。

例えば、有名な映画「カサブランカ」で主人公リック(ハンフリー・ボガード)を友人のルノー署長(クロード・レインズ)がこのように評している。

RENAULT: Because, my dear Ricky, I suspect that under that cynical shell you're at heart a sentimentalist.
「なぜならばだリッキー、その皮肉屋の殻の下で君は、心のうちではセンチメンタリストなんじゃないかと私は睨んでいるんだ」(拙訳)

「カサブランカ」がそもそも「ハードボイルド」なのかは随分議論の余地があるが、それでもこの指摘はリックだけでなく、他の多くのハードボイルド主人公に当てはまるのではないか。

「マルタの鷹」のサム・スペード(ハンフリー・ボガード)は、作中を通じて冷静な場面が多い。その彼が感情的になる数少ないシーンのひとつが、ヒロイン(ファム・ファタール)ブリジットの「罪」を暴くラストだ。彼女への愛と相棒殺しの罪の追及という正義。この二つの葛藤の中で彼はクールに語り続けることなどできない。激情を出来るだけ抑えながら、彼は決断を下す。

「探偵物語」のエピソードのひとつ、「サーフ・シティ・ブルース」がこのシーンをどこまで参考にしたか、不勉強ながら知らない。しかしこの話のクライマックス、若い未亡人との対峙と罪の暴露において工藤(松田優作)は、普段のひょうひょうとした姿から一変して、怒りを表す。出来る限りクールになろうとしながら。

その他例を挙げるときりがないのでここまでにするが、ハードボイルドとは外面としてはハードでタフでクールでありながら、決して無感動でも不感症でもなく、むしろ人一倍センチで、実は青臭いほどに正義感が強いのではないか、と思っていたりする。その柔らかい感性を隠すための「皮肉屋の殻」、それがハードボイルドではないか、と。

余談だが、「センチメンタル(sentimental)」とは「感じる(lat. sentire)」に由来する言葉であり、「感じやすい」「センシティブ」、かなり飛躍すると「共感力」にも通じる。
ハードボイルドは同じ成熟した強い大人の男でも、無神経で鈍感なオッサンではなく、他人の痛みが分かる「優しい」男なのだ。だからこそ、フィリップ・マーロウの口からこのような台詞が出てくるのだろう。

If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. -“play back” Raymond Chandler
「ハードじゃなきゃ生きてはいられん。ジェントルになれないなら、生きる資格もない」
-『プレイバック』レイモンド・チャンドラー(拙訳)

女を直視しない男

ハードボイルドすべてがこうであるとは言わない。しかし一部の作品と主人公には、こういう傾向があるのではないか。

ハードボイルドはクールに振る舞いながら、実は人一倍感受性が強いのではないかという仮説を立てた。本来感じやすく傷つきやすい男は、女の感じる痛みにも敏感で、だからこそ傷つけることも、自分が傷つくことも恐れて、ギリギリのところで女に背を向けるのではないか。

「カサブランカ」のリック、「マルタの鷹」のサム・スペード、フィリップ・マーロウ、工藤俊作、そして、沢田研二の「カサブランカ・ダンディ」。

痛めることを恐れるあまりに冷たく突き放す。
それを愛とも、男の美学とも呼ぶ。
大人という殻を被った、青年の強がり。
ハードボイルドとはイメージされるよりはるかに人間味のある振る舞いなのかもしれない。

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