黒森峰より愛をこめて(逸見エリカ生誕記念 06.03.2019) ⑦

第七章 散策

荷解きを終えシャワーを浴びて部屋に戻ると、ベッドの上に見覚えのないセーターとマフラー、そして厚手のスカートが置いてあった。

「ドイツの冬は寒い、良かったら使ってくれ。まだ一度も着てない」

間仕切りのカーテン越しに、まほが声をかける。
確かに、日本の冬と同じ感覚だったので若干軽装だった。また久しぶりに隊長に会うということで、オシャレを優先し過ぎたところもある。タイツを履いているとはいえ、ミニスカートはさすがに寒かった。

「疲れていなかったら、少し街を散策しないか?
クリスマス・マーケットは終わってしまったが、まだ開いている店もあるし、趣深い建物もある」
「はい、ありがとうございます隊長!」
「もう隊長じゃない。『まほ』でいいよ」

カーテン越しでも伝わる微笑みと優しさ。
やっぱり、隊長は変わったな。
着替えをしながら、エリカはくすりと笑う。

変わったと言えば、服のセンスもそうだ。
部屋に入ってコートを脱いだ下に着ていたのはピンクのタートルネックのセーターに灰色のツイードのスカートで、日本で会った時の私服よりはるかに洗練されたというか、すごく大人びて見える。
貸してくれた服も上品にオシャレだった。空色のセーターと薄茶色のチェック柄のスカート。60年代くらいのヨーロッパの映画で美女が着ていそうなコーディネートだ。

ふと、自分とまほのセーターがお揃いなのに気付いて嬉しくなった。

「失礼する。開けるぞ。
 ん? 何やら楽しそうだな」
「!? いえ、オシャレな服だったので、どこで買ったのかなと」

急にカーテンが開き、笑っているのを見られてしまった。ばつが悪い思いをしながらも、尋ねても失礼ではないだろうと思いさりげなく聞いてみる。
するとまほは、苦笑いしながらこう答えた。

「ありがとう。だが実はこれもそれも去年のサンタさんからのプレゼントでな、どこで入手できるか、分からないんだ。
 普段プライベートではもっとラフな格好なんだが、せっかく来てくれたからな、しっかりした服を着てみた。似合っているといいんだが」
「はい、すごく似合っています!」

なるほど、そういうことか。
家元から聞いただけなので半信半疑だったが、ようやく状況を呑み込めた。
やはり、サンタを信じている。
責任重大だぞ、エリカ。

「ありがとう。エリカもよく似合っている。名家の令嬢のようだ」
「そんな、持ち上げすぎですよ…
 それに、本物の『お嬢様』の隊長に言われても」
「『まほ』だ。
 さて、行くか」

外は相変わらず寒いが、借りた服のおかげか、先ほどよりはしのぎやすい。また薄暗いのに眼が慣れて、街並みが見えるようになってきた。とはいえ雪は未だに止まず、石畳の地面は油断すると滑りそうだ。

まず旧市街の中心の広場に案内された。かつての市役所の前に広がる集会場で、地形の問題か平地ではなく、旧市役所に向かって昇る緩やかな坂になっている。市役所の建物は木組みの古い建物で、15世紀に街と一緒に建てられ、拡張、改築を重ねつつ19世紀初頭まで使われていたらしい。ファサードは素晴らしい彫刻と壁画で飾られているらしいが、今は雪で隠れて見えない。

広場から坂を下りN橋方面(バス通り方面)に行くともうひとつ、少し小さめの広場に出る。こちらは聖ゲオルク教会の広場で、この教会もやはり街が出来た時からずっと残る建築物で、今も普通に使われている。今はクリスマスミサの準備のため立ち入り禁止だが、パイプオルガンの荘厳な音色が少しだけ漏れてきて、雪景色と音楽の微妙なマッチングに鳥肌が立った。

まほにもらった板チョコレートを半分ずつ分けて力をつけてから、教会脇の急な石畳の坂を転ばないように注意しながら上ると、眼下に凍りついたN川が見える。その手前にある傾斜は階段状になっていて、一番手前の段にはT大学の「最初の」講堂がある。T大学の施設は今では街の各所に散らばっていて、ほとんどは旧市街から少し上がったところの平地に集中しているが、設立当初の15世紀は自由7学科(今風に言うと「リベラル・アーツ」)と法学、医学、神学しかなく、校舎もこの一棟のみだった。今では哲学科が使っていて、まほは一度だけ、マキャベリとクラウゼヴィッツの研究書を借りに建物内の哲学科図書館に入ったことがあるという。

階段を降りて川沿いに向かう。列車の駅は川向こうで、川の間の細長い島には並木道がある。左側を向くと先ほど二人が再会したN橋が見える。下から見ると、彫刻で飾られた美しい橋だ。春になると花輪で飾られ、さらに美麗になるらしい。
右側には桟橋がある。夏になるとヴェネチアのゴンドラのような(というよりそれに影響を受けた)手漕ぎボートで川下りするのがT市の名物らしいが、冬学期から来ているまほはまだ乗っていない。川が凍っている今はなおのこと、船遊びなど出来たものではない。

「いっそのこと川の上でスケートでもするか? 1月半ばになると氷も充分厚く硬くなって、滑る人もいると聞いた。薄いところに当たると割れて落ちることもあるらしいが」
「いや、流石にそれは…
 『アレクサンドル・ネフスキー』のような大惨事になります」
「エイゼンシュテインとは古風だな。私は『キング・アーサー』を思い出したが。
 しかし寒冷地における重戦車運用という観点では…」

市内観光から急に戦車道の話になるとは思わなかったので驚いたが、まほの無表情だが生き生きと話す姿に
、エリカは何となく安心した。

変わらない隊長も、素敵だな。

まほの横顔を見ながら、エリカはくすりと笑った。

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