黒森峰より愛をこめて(逸見エリカ生誕記念 06.03.2019) ②
第二章 鉄の掟、鋼の心
まほとスカイプをした週の土曜の昼下がり、エリカは西住邸の客間で一人、緊張で石像のように固まって正座していた。
まほともみほとも中等部からの付き合いだが、母親である家元と会ったことは数えるほどしかない。まして実家を訪ねるのは、今回が初めてだ。
西住流とは、「鉄の掟 鋼の心」の言葉通り、厳格な流派である。
しほを頂点とする宗家の他にいくつかの分家があり、能や歌舞伎のように、この家は砲手を輩出する、この家は操縦手を、という具合に、家ごとにどの職能を担当するか決められている。車長及び部隊長はもちろん宗家。宗家は指揮官としての教育だけでなく、他の全ての職能の技技術と知識をも鍛えられる。またかっての風習では、宗家の子供は一定期間親元を離れ、同じ年頃の子供がいる分家を点々とし、「その家の子」として育てられた。武士の時代の乳母子のように、宗家と分家の子の結束を図る狙いの制度だった。
逸見家は、西住の分家ではない。
一子相伝を原則とするため、門下生にもなれていない。
西住家とも西住流ともつながりのない自分が西住家の敷居を跨いでいいものか?
そう思うと恐縮してしまって、なかなか訪れられずにいた。
しかし家元直々の招待とあっては、断るわけにもいかない。
それも人目をはばかって、まほやみほにすら内密で話があるとなれば、なおのことだ。
金曜日の夜、隊長特権で認可無しに持ち出せる航空機Fa223「ドラッヘ」を駈って密かに学園艦を抜け出し、慣れない夜間飛行に苦しみながら明け方には熊本の沿岸に着いていた。機内で少し仮眠をとって目が覚めたのが正午前。ちょうど迎えに来た西住家の車に乗り換え、山道を一時間弱運ばれて西住邸に着く。中年の家政婦に勧められるまま、温泉の出る大浴場で暖まった後、用意された浴衣に着替え、一度今日の寝室に向かう。泊まれるように準備してくれたらしい。しばらく休んでいるとさっきの家政婦が呼びに来て、来客応対用の和室に通されたのだった。
ちなみにここまでの西住家の手配には一分の隙も無駄もなく、エリカは西住流の凄まじさを改めて体感し、寒気がした。
「奇異しきしわざかな。」
この前古文の授業で読んだ、『今昔物語集』の明尊僧都と平致経の話の一節を思い出した。(巻二十三「左衛門尉平致経、明尊僧都を導きし語」)
あのエピソードの長田平氏の郎党と同じくらい、西住家の者はよく訓練されている。
家元が姿を見せたのは、エリカが座ってから少し経ってからだった。
その「少し」が、緊張感するエリカには何時間にも感じられたのだったが。
「ようこそ西住家へ。さぁ、楽になさい」
まほと瓜二つの仏頂面で、家元はエリカに声をかける。しかしそういう自分は正座を崩さない。
何を考えているか読ませない鉄面皮、これも「西住流」なのだろう。足を崩すのと正座のままと、どちらが「正解」か読み取りかねたが、椅子の生活に慣れた身に正座は辛く、結局足を崩して座り直した。
「逸見さん、あなたのことはまほからもみほからもよく聞かされています。私自身試合でのあなたを観て、頭に血が昇りやすい欠点はあるものの、根は誠実な子だと評価している」
厳しい言葉が飛んでくることも覚悟していたエリカにとっては、意外な好評価だった。意外過ぎて拍子抜けしまって、返事をするのも忘れ呆然としている間に、家元は話を続ける。
「そんなあなたになら、打ち明けられると判断しました。西住家の秘密、一歩間違えれば娘達の夢を壊しひどく傷つけ、恥をかかせるような秘密を」
西住家の秘密。
それを、私に?
話のあまりの重大さに、エリカはまたしても言葉を失う。
家の者ではない私にそれは流石に、と辞退しようとも思ったが、家元の鋭い眼光は、「異論は認めない」と言っているように見えた。その眼を見ただけで、エリカはもう何も言えなくなってしまった。
しかし当の家元は、こちらをじっと見据えながら、黙りこんでしまった。やはりまだためらいがあるのか、言葉を選んでいるのか。息を詰めて表情を崩さないようにする様が、かえってしほの心の揺れを感じさせる。
やはり親子だな。
言いにくいこと、特に戦車道以外のプライベートな話題で言いよどむ時の隊長を思い出し、エリカはそう思った。
「ところであなたは」
家元がやっと口を開いた。
エリカは崩した足を揃えてまた正座し、しっかり受け止めようと背筋を伸ばす。
隊長やみほが傷つくような、あの二人も知らない秘密、それは一体…?
次に家元の口から出たのはしかし、あまりに予想外の一言だった。
「あなたは、まだサンタさんを信じているかしら?」
(続く)