黒森峰より愛をこめて(逸見エリカ生誕記念 06.03.2019) ⑪
第十一章 戦車術と戦車道、教範と伝統
「端的に言えば、『大きな黒森峰』なんだ、ドイツの戦車道は」
グラスの中のワインを飲み干して一息ついてから、まほは話し始めた。
「どちらにも積み上げてきた伝統、知の集積がある。それもただ集めただけでなく、良い図書館のように決まった棚に系統立てて整理され、リファレンスしやすくなっている。後進を教導するのも、後進が先人の切り開いた道を辿るのも、容易になるのだ。
だからこそ、その『棚』を越えた自由な発想を疎外してしまう。枠を前提に考えてしまうのだ。
大モルトケが正式に導入したとされる「委任戦術」は知っているな?
上級指揮官から訓令を受けた下級の指揮官が、上級指揮官の企図の範囲内で、与えられた目標を達成するための方法を自分で決定し実行するというものだ。現場の指揮官の自主的かつ臨機応変な対応を可能にする指揮方法として知られている。
だがそれを機能させるためには、下級指揮官が上級指揮官の訓令の意図を理解できることが前提であり、そのための訓練が絶対に必要だ。そしてその過程で、下級指揮官達は戦場での判断基準、価値観を標準化される。規格化されてしまうのだ。
また上級指揮官からの訓令の基になる戦略自体も、モルトケが言ったように、『基本的な常識の枠を越えるものではない』ことになってしまう。
ドイツの戦車道は、どこかそんなところがある。各車長の独断専行を認めながらも、決断を下す際に基づくべき規範から外れることは許されない。枠からはみ出ることが出来ないのだ。
それもいいだろう。
誰でも一定の成果を挙げられるマニュアル。
『正しい』判断を下せる規範。
しかしそれに拘泥して硬直した戦車道は、ひとつ歯車が狂っただけで機能しなくなってしまう。大洗との戦いで、証明されたことだ。
以前ヨアンナが貸してくれた映画にも、こんな台詞があった。
『戦闘単位として、どんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムは、どこかに致命的な欠陥を持ってことになるわ。組織も人間も同じ。特殊化の果てにあるのは、ゆるやかな死…それだけよ』
その「ゆるやかな死」をいかに防ぐか?
それがこの国の、そして黒森峰の戦車道の最大の課題だろう」
※大モルトケと「委任戦術」については、『歴史群像』NO. 150(2018年8月号)所収の田村尚也氏の記事「ドイツ軍と『作戦術』-“勝利のための方策”にどこまで近づけたか-」(p79-93)の、特にp84-89の記述を参考にしました。
また、まほの唐突な引用は、某押井作品の某少佐の台詞からです。