さらば愛しきルパンよ(モンキー・パンチ追悼)
妙な1日だった。
思うところあってレイモンド・チャンドラーを読み返していて、仕事が終わったらテリー・レノックスについて書くつもりでいた。
仕事を早く片付けようといつもより一本早い電車に乗り、満員電車の暇潰しにtwitterを流していると、衝撃のニュースが目に飛び込んできた。
モンキー・パンチ氏、死す。
衝撃、という表現はあたらないかもしれない。
むしろあまりに予想外で、リアルなことだと捉えられなかった、というのが本当のところだ。
ルパン三世は、大好きなアニメ作品だ。
群馬にいた頃の幼なじみの父親がルパンのファンで、彼女と一緒に旧ルパンのLDをよく見せてもらったものだった。
赤ジャケットの第二シリーズは再放送でよく見ていて、お気に入りのエピソードはビデオのテープが擦り切れるまで繰り返しみた。
そして今。
紆余曲折あって、ルパンの格好で歌を歌ったり、サバゲーをしたりしている。
はっきり言って、格好だけだ。
僕はルパンほど強く自由に軽やかに生きることは出来ないし、女を真心から愛することも出来ていない。
あこがれているだけの、甘ったれの坊やに過ぎない。
ルパンのセリフで3つ、強く印象に残っているものがある。
それを紹介して、この素晴らしい作品を僕らに遺してくれた人への追悼の意を表したい。
「裏切りは女のアクセサリーみたいなものさ」
TV第一シリーズ(旧ルパン)第一話『ルパンは燃えているか…?』
ルパンを裏切って密告するのを引き換えに赦免され、一人逃げる不二子。彼女の乗る車の後部座席には、捕まったはずのルパンが隠れていた…
「裏切り者を消しに来たの?」
尋ねる女に事も無げに放つ台詞が、これだ。
こんな台詞をさらっと言うようなことが出来ないうちは「男」じゃないし、こうやって軽く許せないうちは、本当に愛してなどいない。
「僕の不二子」とも、こう付き合いたいものだ。
「痛めることを恐れるあまりに冷たく突き放つ愛もあるさ」
『ルパン三世のテーマ』
出来ない。
本当に出来ない。
お互いに傷付きそうな時に限って、一緒にいたくなる。
自分自身の痛みや寂しさを癒し埋めたい時に、会いたくなる。
それが互いを傷付ける、「ヤマアラシのジレンマ」になると知りながらも。
愛している女と、楽しいこと、幸せなことだけを分かち合う。
それが大人の、恋なのだろうか。
「夢、盗まれたからな。取り返しに行かにゃ」
『ルパンvs複製人間』
マモーとの最後の対決に向かうルパン。
勝ち目はないと止める次元。
背中越しにこう言って、ルパンはまた歩き出す。
「夢ってのは女のことか?」
相棒の問いかけに、ルパンは言う。
「実際クラシックだよ、お前ってやつは」
盗まれた「夢」とは何だろう?
さらわれた不二子のことだけではないだろう。
「ルパンがルパンである所以」
「男の証明、プライド」
言葉にしてしまうとどこか陳腐で、空虚に響くのが悲しい。
しかしこういう言葉が空虚にならない強い生き方を、僕はこれまでしてこれていただろうか?
夜家に帰ると、思わぬ「お宝」が、僕のところに届いていた。
以前注文した、腕時計だった。
そろそろだとは思っていた。
しかしよりにもよって、今夜だとは。
何とも奇妙な巡り合わせだ。
僕は買ったばかりのブラジル豆でコーヒーを2つ作り、「彼」のほうにバーボンを少し入れた。長らく禁煙していたが、「彼」のために一口だけ吸い、残りは灰皿の中で燃え尽きるに任せた。
やがてコーヒーの湯気も煙草の煙も消えた。
無音の部屋の中で、腕時計の小さな針の刻む「時」が響く。
狂った朝の光のように。
震えるような微かな吐息のように。
こうして僕は、フィリップ・マーロウが昔テリーにしたように、「彼」に長い別れを告げた。
さらば、愛しきルパンよ。