2019年の緑地帯3

 私は上京して3年め、1989年頃に26歳で総合文芸誌でアルバイトをすることになった。編集部にくる郵便物をまとめたり、愛読者カードを読んだり、原稿を受けとるなど細々とした仕事がメインだった。そして、読者ページをつくることをスタートに、その後特集記事を数ページつくり、総力特集のページやアーティスト、作家の担当になり、というふうにビシビシと鍛えられていった。

 まだ80年代の終わり、パソコンも普及しておらず、ほとんど手書き生原稿、ファクスや宅配便での受け取りの時代だった。

「編集」というのは、先にある作りたいページのイメージを完成させるために、文字原稿(それをつくるために取材をする)や写真、イラストなどの材料を集めてくることである。なので、取材の場所の確保、聞き手、撮影者の確保も仕事となる。そして、その的確な選択ができるように自分の中にたくさんのインタビュアーやカメラマンのリストがあることも必要不可欠である。

 私の編集部ではアーティストや作家をメインに取り上げていたので、そのアーティストのどの部分を取り上げるか、より読者に伝わるように工夫して行くか、それも編集者の仕事だった。すなわち、アーティストやインタビュアー、カメラマンなどなど関わるすべての人間に深い興味と熱心な研究心がないと成り立たない仕事である。

 そして、現場での素材集めが終わると、次は編集部内でのデスク作業。原稿の入稿、校正作業、印刷所での下版。そして、発売日より一週間くらい早く見本誌は完成し編集部に届き、取材に関わってくださったみなさんに献本作業を行う。

 このようにして約1月かけて出来上がった雑誌が書店に並ぶのである。



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