無感情の正体 24/11/5
書き置きしておきます。無感情の正体が分かりました。
他の人という視点を借りて、自分という人間に愛想を尽かした。が結論でした。
自分の醜い、弱い、駄目な、劣等感、、
プライドの正体は、他の人が普通(上)だから自分が普通じゃない(下)なのがつらい。苦しい。からずっと他の人といるのが苦しいんだよって事だったんじゃないかなと思いました。
無感情になってから本当に何にも悩まず、特に感じず楽でした。
しかし、事実として自分に対して「もうこいつ駄目だね」と諦めたことになりました。上記のような自分の在り方をずっと否定、駄目だと思っていてずっと悩んでいたのだと思います。
そんな事を感じるのが嫌だ、いい人でいなきゃ、優しい人でいなきゃ、正しく適切な行動をしなければ、、。
認めたくなかったんですよね。自分の醜さを。ずっと。
他人は許せるのに自分は許せない。
↓
他人は許してもらえる(普通・上)だから、許せる。許される。
自分は許してもらえない(普通じゃない・下)だから、許せない、許してもらえない。
『対等な人間関係』という理想を求めていたくせに、結局『今、君は正しいか、正しくないか』というジャッジ、裁判を人間関係中での自分に課していたのだと思いました。
『自分が正しく存在しているか』に他の人と距離が近くなるほどすごく辛さを感じていたのかもしれません。自分は本当は普通じゃない、駄目な人間(下)だから…。普通(上)で存在してないと辛い、ごめんなさいって思えてしまう…。これが自分のプライド…。
もういい風なこと書かなくていいよ。どうせ君は変わらないんだし。変わるとしても時間かかるし…。
つけた風な、劇っぽさな言葉選択ではなく、自分という人間に只思った真実を極力正しく言葉化できたからよかったですやん。
…
自分に愛想を尽かしました。なので何も思いません。
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