地方政治家として
南あわじ市が発足した平成17年に誰にも相談せずに市議会議員選挙に立候補した。30歳の時である。
実際には嫁と後輩2人には心中のお願いをした(笑)
旧南淡町商工会青年部に所属しており、イベント企画や事業に取り組むのが楽しくて、周りの方々の楽しそうな顔をみたり、ちょっとでも人の役に立てる感覚が何より心地よかった。
きっと市議会にはもっと人の役に立つ役割がある。
覚悟を決めるまで三日三晩眠れなかった。今となってはそう眠れないことでもなかったのにと笑える。
地元の町内会の方にはあいつは勝手にやってるとまで吹聴され散々な選挙だったが、同級生に押し上げてもらい定数28に59人中24着でなんとか滑り込んで当選できた。
今、これを書いていて迷惑をかけた同級生もいっぱいいたことを思い出す。感謝しかない。死ぬまでに御礼参りしなければとあらためて思う。
意気揚々と市役所に登庁し、四年任期の活動が始まった。無我夢中で記憶があまりないぐらい忙しくさせてもらった4年間だったが、スケジュールに流され続けた4年間だった。
次の選挙も定数24に22着で運良く滑り込んだが、だんだんと目標を見失っていた。自分は誰のためにやっているのか、政策を練れば練るほど市議会議員では何も変えられないジレンマにイラついてばかりいた。このままではやりたいことの1/10もできないし、誰の役にも立てない。
そして誘われるがまま「林英臣政経塾」の門戸を叩いた。そこは地方政治家たちの梁山泊と言われ、これまでみたこともない世界だった。
塾というよりも、東北から九州まで50人超、地方議員にとどまらず、首長、国会議員に挑戦しようとする若くて血気溢れる集団だった。