フワフワした緊張感
我々は当然シード校。初戦の相手は甲南高校、勝てば同じ淡路島の宿敵津名高校となんと「甲子園」で三回戦という組み合わせだった。
みんな津名高校に照準を合わせていた。しかも甲子園でだ。当時は予選でも甲子園を使っており、なんと凄いクジを引いてきたものだと皆で盛り上がった。
津名高校とは過去全て一点差ゲームで数回勝ち続けていたので、向こうも甲子園でガチンコでくるだろう。そんな話をしなくても皆意識し始めていた。
プレイボール。何度も勝ち慣れた明石公園野球場だ。応援席も満員だった。
監督からも「お前らは明石球場で一番試合こなしとる。間違いないわ」と試合前に話があった。さあやったるで!
3回ぐらいまで試合が全く動かない。七回表に一点を許したが、みんな自力の差が見えてきたので落ち着いていた。そして七回裏、無死一二塁、バッターは私だ。
送りバントのサインが出ていて、フルカウントまで粘っていた。相手ピッチャーもたいして球速はなく、私は難なくフォアボールを選んだ。よし、満塁だ。
無死満塁。やれやれ、このまま逆転してさっさと試合を終わらせよう。
一点止まりで終わった。なんでやねん!
8回終わって1ー1。おいおい、初戦でなにしてんねん俺ら。
9回表、内野ゴロ、外野への打球、連続エラーで6点取られた(驚)
そこから記憶なくなって、試合後に監督から「すまん、ワシが油断しとった」と涙まじりのミーティングがあった。
その涙を見てから自分も泣けてきた。3年間が終わった瞬間だった。次の日の紙面は「洲本、まさか」と大々的に書かれた。いや、俺らのほうがまさかやわ。マジで。
今思い出していても皆油断していたんだろうと思う。
当時の甲南高校のメンバーに会ったことはないが、当時の試合の感想を聞いてみたい。そして謝りたい。完全に舐めてかかっていたことを。
三回戦、甲子園で津名高校が甲南高校にコールド勝ちしていた。
そして甲子園で育英高校が全国優勝した。