志士政治家
政治家はかくあるべき。自分の肚に落とし込む自己修練の場が政経塾の目指すところだ。
人それぞれ政治家に対するイメージがあると思うが、私には私が思う政治家像があったし、政治家のあるべき姿は有権者がつくるものではなく、政治家があるべき姿を示し、審判を仰ぐことだと今でも強く思っている。
あいつは選挙の時にしか挨拶に来ない、葬式にも来ないとよく言われたし、選挙の時ぐらいしか時間をとって挨拶まわりできないぐらい自己修練を最大優先として全国を飛び回っていた。
なんとかして市役所を動かしたい、いい街にしたい、と奮起し直し、二期目の四年間も動きまくった。
二期目になると市の部長さんも幾分こちらの話を聞いてくれるようになったり、教育長も私の思いに賛同してくれたりして、徐々にやりたいことが実現しつつあった。もっと見聞を広げたいと思い、ますます動いた。
兵庫県知事に直談判したり、東日本大震災の被災地の市長と直接支援物資の情報交換をして協力者を募ったりしていた。毎日が充実して二期目の四年間もあっという間だったが、変わらず市議会議員の活動に限界は感じていた。
政経塾には同じジレンマを抱える仲間もいた。が、私と違うところは全国飛び回っても皆地元のこともちゃんとやっているというところだった。
私にはそれができなかった。言い訳でも何でもなくそこまでの能力がなかった。
三期目の選挙は次々点。厳しい洗礼だったし、納得のいく結果だし、やっと目が覚めた。職を持っていないと地方議員なんかできない。そして、人の倍、三倍動かないと志士政治家なんて名乗れない。
8年間の地方議員の経験談は黙っていた方がいいと思った時もあったけど、次に続いてくれる後輩や、なんなお前ごときが黙れと立ち上がる方がいたらそれはそれで嬉しいと思うし、なにくそ!とまた私も燃えることもあっていいと思って書いてみた。
自分との闘い。要は選挙の洗礼を乗り越えてなお、やるべきこと、やりたいことがあるかどうかだけだ。
とりあえず今は多額の借金と子育てでてんやわんやなので、落ち着いたらまた考えよう。いい街になるよう、今の立場でもやれることは何でもやるつもりだ。