想像を超える創造・出来ることを諦めない~移住者インタビュー 第七弾 後編~
前編では、「武器を持たず丸腰で移住してきました」と語った湯谷さん、語る言葉の一つ一つに、人への愛を感じ、すでに多くの武器を備えている、戦隊ヒーローのような印象も受けました。後編では、「介護への想い」などを語っていただきました。
ー介護福祉現場で楽しいことはありますか?
ないですね。楽しく仕事をするようにしていますが、「楽しい」という領域にはまだまだ達していません。まずは目の前の利用者さんを楽しませたり、心から喜んでいただく支援が出来ていないですし、一緒に働く人たちから(自分と働いていて)働きやすいとか言ってもらえたことはないですし、 利用者さんと働く人や、町民の方達からも信頼され、みんながここでずっと働きたいという流れになって、毎日がワクワクする場所になったら「楽しい」と言えると思いますが、それでも、決して満足することなく、もっと「楽しい」を追求し続けたいです。
ー介護現場で大切にしていることは何ですか?
人間は一人では何も出来ないということです。そして、誰の人生においても「最後は福祉施設に入居して・・・」といった人生のストーリーを描いている人はいないと思います、自宅で過ごしたいと。そういった中で、チームで助け合いながら、自分が将来、この施設に入りたいと思えるように、常に地域の方から見られているという意識を持つことを大切にしています。
ー3年後の自分はどうなっていると思いますか?
障がい者支援施設での勤務が15年、知的障がい者のサッカー指導を18年として、移住するまでに海士町の人口の半分近く1000人以上と関わってきました。生まれながらにして障がいを持っている方や、突然障がいを持つことになってしまった方々から学んだことは計り知れません。そういった経験も踏まえるとこの先に、私自身に何があるかわからない世の中ですし、3年後に真の意味で、この町の皆さんに受け入れられ、必要とされる人になれていたらいいと思います。
―海士町の「魅力」は何だと思いますか?
人の温かさと自然の豊かさに尽きます。そしてキャッチフレーズでもある「ないものはない」これには、なくてもよいということと、大切なものはすべてここにあるという2つの意味を、そのまま感じる事ができます。
―海士町に来て出会えた方々について、一言。
職場においては、丁寧に仕事を教えて下さり、新人にも関わらず、あれこれ言う私の意見にも、きちんと耳を傾けて下さっています。
町民や県民、国民の社会保障費などから、報酬をいただいている事を常にこころに持ち、海士町の福祉施設を利用される方の満足度を、より高めていくよう、そして、働いている人が「誇り」を持てるようにしたいです。
そこから町民がより充実した生活を送れるように、自分の目の前に起こる事を大切にして精進してまいります。
町の皆さまには、当初、自己紹介をすると、「うわさは聞いています」「最後の一人が来たんだね」「来てくれてありがとう」と言われることもあり、自分のような人でも、ここまで言ってもらえるのは本土ではあり得ないことで、とてもありがたい事だと感じています。
海士町社会福祉協議会の一員として、町の人から必要とされる人になることと、海士町の社協がより「おもしろく」なるようにしていきたいと思っています。
―島のお気に入りの場所はありますか?
自宅から近い「明屋海岸」です。
青い空と青い海が最高に綺麗です。夕方も綺麗ですね。
いつでも、穏やかな時間が流れます、明屋海岸には。
―移住を迷っている人に伝えたいことは?
海士町に限らずとにかく一度は自分で来てみて感じてほしい。
何日か泊まってみたり、どのような仕事に就くにしても疑問に思ったことや、不安に感じる事をまとめておいて、聞きまくることが重要だと思います。もし福祉のしごとをされてて海士町への移住を検討されてるなら、私もお伝えできることがたくさんあります。
―最後に一言、お願いします。
インタビューして下さり、ありがとうございました。
私もnoteを書いてますので、お立ち寄りいただければとてもうれしく思います。
(おまけ)
来島前、長きに渡り、知的障害者サッカーチームの指導をされてきた湯谷さん。その「恩人」に逢いに、教え子達が来島。彼らにとっては、ONEPIECEに例えたなら、海賊王ならぬ、隠岐諸島王、海士町王ですね.
サッカーだけではなく、彼らの人生において、湯谷さんの存在が大きなものとして、共に歩んでいくのでしょうね。(広報委員)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?