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不安の種をまかない
親になるということは、子の成長に伴って次々出てくる不安の種に向き合うことだと思う。
寝る寝ない、食べる食べない、子どもの病気、発達、学習面…
終わりがないのだ、ずっとずっと。
受験だ就職だ結婚だなんだと、放っておけばずっとその種を拾って食べて、親は生きていくことができるのだろう。
心配の種は旨味があるのだ。
心配をしていれば、いいことをしてるような感じがするのだ。
心配だから言ってるのだ、と。
あなたのことが心配だから、と永遠にできてしまうのだろう。
違う。それじゃいけない。
心配の種を、引き受ける。
子どもの周りにあれこれまきたくなる心配の種をまかない。
拾わない。拾って食べない。
そこから栄養を取らない。
子育てに伴って生じてくる不安とどう付き合っていくか、そこを決めることが、親になることだと思う。それこそ、腹をくくるということ。数年かけて、10年以上かけて、親も鍛えていく。
それ以降だって子どもが困っているときは、話を聴く。いっしょに話もする。
先回りして取りに行かないのはもちろん、不安の種をわざわざ植えに行かない。育てない。日にあて、水をやって、育ててはいけない。
種があちこちに落ちていたとしても飛んだり跳ねたりつぶしたりして、子ども自らがなんとかするのを見守る。その様子を見る。
放っておけばいい、ということでもなく。
命にかかわることや大切なことで、あらかじめ話をすることは、ある。そこができたら、あとはもう羽ばたいているのを、羽ばたいていくのを、ただ見守るだけ。
子どもさんたちに対して思うことは、親に負けるな。育ちに負けるな。親をうんと超えてゆけ。
思いっきり、羽ばたいて。