外見への言及は平成に置いてきました
続き、でもあるんだけれど、別の話、大人のビキニの話だ。
確かTwitterで見かけたと思うんだけれど、
海外で太った人やおばあちゃんがビキニを着ていてもなんとも思わないのに、日本だと目につく。
さらに、日本であっても、外国人がしているなら気にならない、とあった。
なぜだろう。
同じような顔をして、同じような肌の色をして、同じ人種の人にだけ、後ろ指を指す。これは、なんなんだろう。
水着など何着たっていい。好きにしたらいい。
他の人が着ている服など、どうだっていい。他人がとやかく言うことではない。好きな服を着たらいい。
肌の色、顔がどう、背がどう、体型がどう、服装がどう、もうそういうの、よくないだろうか。
昔から
自分の力でどうにもならないことを批判しない、
自分の力でどうにもならないことを口にしない、
それは品がないこと、
と教わってきたけれど、
自分の力でどうにかなること(服装だとか)も、もういいんじゃないか、と思っている。
人のこととやかく言うのは、もういいんじゃないかと。
大人がやってる以上、子どもも真似をする。
子どもの世界のほうが、ずっと露骨だ。
こんなものも読んだ。↓
外見への偏見を隠さない日本。
そして、こんなことも。
我が子がどうしようもなく可愛く見えちゃってまいったな、の人が多いのでは、ないのか。。。
そしてそんなふうに考えていた自分に決定的な出来事。
これもまたTwitterで見つけた新聞記事。
自分は今年の入学式シーズンで見つけたのだが、これ自体は2016年のもの。こんなの、本当に悲しい。
ポジティブなものも、失礼なのだ。
参考にどうぞ、の部分↓
以下は、海外で外見について触れることは失礼になることが多い より
いじめや男女差別にかなり厳しめな団体が容姿に対しては
あの人は美人だなんだと、やっているのを見て、
こんなやり方が通用するのは国内だけだなと思う。
偏差値や公教育を批判している人も、容姿への言及は
ポジティブなものであれ当たり前にされていたりもする。
ここは日本だから、は、通用しないよね。
今日書いたことは、自分に対しての宣言。
5月。令和が始まることに便乗して、外見について話すのは、平成に置いていきたいと思う。
私自身これまでに、人の外見について言ったことがなかったかと言うと、あったと思う。
でも、もう、おしまい。
それに、先の↑いじめについてや男女平等について、大変先駆的に取り組まれているところが容姿についての言及はかなり遅れているといったことがあるように、自分も気付かぬところで、別の事柄では、やってしまっていることなど、多々あるのだろう。
と、思っています。
遅れていると書いたのは、容姿いじりとか、若い世代の間ではもちろん全てではないけれど、お笑いの番組がそれをやると子ども達や若い人達がもう引いてしまう。Youtubeのほうが、人気YouTuberなどよっぽど、容姿いじりなんてやらないという記事を読んだ。(例外もあるだろうけど)
ああ確実に変化しているんだなということも感じているところです。
前の時代では当たり前だったけれど、新たな時代では、やらないこと、その1つとなるようにと思っているし、実際に、そんな変化を次の世代の方々からは、感じているところです。
日本も、多様になっていく。少しずつだけれど、世の中は
変化していく。
※5月に書いたもの。書き直して、また公開します。