映画「インディペンデントリビング」
シネマ・チュプキ・タバタで行われている鑑賞対話ファシリテーター舟之川聖子さんによる「ゆるっと話そう」がオンラインであったので、参加した。
今回の映画は「インディペンデントリビング」
公式サイトより↑↓
物語の舞台は大阪にある自立生活センター。ここは障害当事者が運営をし、日常的に手助けを必要とする人が、一人で暮らせるよう支援をしている。先天的なものだけでなく、病気や事故などにより様々な障害を抱えながら、家族の元や施設ではなく、自立生活を希望する人たち。自由と引き換えに、リスクや責任を負うことになる自立生活は、彼らにとってまさに“命がけ”のチャレンジだ。家族との衝突、介助者とのコミュニケーションなど課題も多く、時に失敗することもある。しかし、自ら決断し、行動することで彼らはささやかに、確実に変化をしていく──。
映画の中で印象に残った言葉から
「自分でどうするか決めるようになったら、自分自身の存在を自分自身で感じるようになった」
「重症心身障害児施設にいて、みな、希望を失っている。それが悔しい。この環境を受容するってことが、障害を受容するってことなの?」
「家族だけで一家心中 もったいない
家族だけにするとお互い視野が狭くなる
行かんでいい道に行ってしまう」
「目の奥を見る」
「しゃべれるやつだけがIL(自立生活)運動中心メンバーになったらいいわけじゃない」
「失敗するときもある。でもそれが生きていく力になる。それが自分の人生」
(書きなぐったものなので、少し違っていたり、順番が前後していたりもするかも。)
登場人物、それぞれの方のそれぞれの自立に向けた物語がとても印象的なんだけれど、
自分で決めて生きるということ
細かく指示を出さないとヘルパーさんは動けないということ
何を望んでいるか具体的に示さないといけないこと
それは実親に対しても、ヘルパーさんに対しても、自立支援センターに対してもなんだけれど
イエスなのかノーなのか
ペラペラ言葉にしなくても、意志を持ち、示していく
いわゆる健常者ならば、自分のできることをしてできないことに手を借りて自分の望んだことをきちんと周囲に表明して望む生き方ができているのかと問われれば、決してそんなことはない
同じように、親離れ子離れで悩む人がいて、環境を受容したくないともがく人がいて、自立が完全な孤立となってしまうことだってある。
高齢者の介護問題も同じで、上手にヘルパーさんに助けてもらえる人がいる一方、ヘルパーさんへの指示がうまくできず、結局は家族だけで介護となっている人もたくさんいる。
遠慮、もあるし、その前に自分が具体的に何を望んでいるかを把握したりそこと向き合って指示出しすることは、そう楽なことではない。伝えても一度では伝わらなかったり、そこを繰り返さないといけない。
でも、やるんだ。
自立するために。
「自分でどうするか決めて、自分自身の存在を自分自身で感じるようになる」ために
「オンラインゆるっと話そう」の場では、皆さんの感想を聞いていて、もう一度映画を観たかのようにいろんな場面を思い出すことができた。
自分が、案外サラッと流してしまった場面にも、グッと引き戻されたり。
こうして書いていても、あの方はこんなふうに話されていたな、とか思い出せて、スルメのように何度も噛んで味わえるのが、いい。
そもそも、チュプキでいまは観れないからと配信されたものを観たのだけれど、心に留めておきたいセリフのときに映像を止めて書き留めたりできることもいい。
東京に住んでいる良さのひとつはミニシアターや美術館がたくさんあることだと思うけれど、住んでいなくても観ることも参加することもできるオンラインの良さも感じる。
(もちろん、膝を突き合わせて語ることの良さもまた愛しい)
仮設の映画館では、別の映画も配信中。
今回の自立支援センターの皆さんはそれぞれ、相手ができることまでやってしまう旧来の支援とは異なる、本人が望んでいないことはやらない支援、だったんだけれど、そのあたりのお話は、また別の機会に書く。これは、別の方からいただいたお題「なぜ正義を振りかざさないのか」「物資支援の仕方」どちらにも共通する話だからだ。