動詞の集積
人間の行動は、いわば動詞の集積である。だから、「生き方のスタイルは動詞で変わる。」という。
真愛のようにジタバタ忙しなく動き、疲れて自分を見失ってしまったら、長く息を「吐く」
テニスではなく攻め合うのではなく、長くラリーが「続く」ようにする。
すると、生活スタイルが変わるのだという。
本を読まないと確実なことは言えないが、
「止める」事が多かった真愛が少しでも「続ける」という動詞を多く使うと、何と何と面倒くさがる真愛の行動が少しだけ「努力家」になった来たのだ。
「動詞で心と体を動かし自分を変えよう!」
というのだ。斬新な発想だ。
私たちの日常の動きを表す、「歩く」「笑う」「触れる」などの「動詞」は、その人の個性までも表現するというのだ。
だから、意識して新しい「動詞」を身に付ければ新しい自分に変身できるのだ。
形容詞ではない。
「美しく」ではなくて、「笑う」という動詞を増やすと心から明るくなり、何となく口角が上がる。
ボランティア活動に行ったら、おじさまに言われた。
「真愛さん。
いつも元気だね。笑顔が綺麗だ❣️」
「何バカ言ってるんですか。笑笑❣️」
「真愛さんぐらいだもん。
こんな馬鹿な話しに付き合ってくれるの。」
「はいはい。
美しいって言ってくれるのですから
付き合いますよ。」
こんなちょっとしたらおふざけでも、「美しい」と言ってもらえるのは嬉しい。
思いは、形容詞だが、行動は「動詞」だ。
動詞を変化させるだけで、形容詞「思い」「生活」が変化する。
齋藤孝先生の
「つぶやく時代にあえて叫ぶ」という
集英社の本である。
【自分をスイッチ・オンする動詞を持つ!】
という項目がある。
考えもしなかった。
真愛のやる気スイッチを入れる動詞って何だろう。
「愛す」だ。
いや、「立つ」かな?
「話す」かな?「聞く」かな?
「触れる」は孤独の特効薬っていう項目もあった。分かるなあ。
何を触ってもいい(法に触れない範囲なら)
愛する人に触れられなくなった真愛は、彼の服を着て彼に触れる。
ペットを触って癒される。
その可愛いにゃんこも厚洋さんのところへ逝っちゃったので、「ニャンコの手触り」って毛布を買った。あまり癒されない。
孤独って、自分で自分を抱きしめても癒されるものだという。
ただ泣くよりも、膝を抱えて泣いた方が癒し効果があるらしい。
他にも
「見る」目の肥やし方
「歩く」は人生を変える、広げる、つなげる
「味わう」―複雑さを楽しむ境地
「聞く」とは自分を「開け放つ」こと
「考える」ポーズ
生命力と直結するスイッチ
「飢える」「渇く」「締める」「緩める」
ハラで自分を整える
心地よく「疲れる」ことを知ろう
からだが「踊る」とこころも「躍る」とか
「笑う」門には福ばかりなんて面白い話もある。
ー 「つぶやく」時代にあえて「叫ぶ」 ー
齋藤孝さんの本である。
人の行動は「動詞の集積」
人性は「どうしよう」を変えれば
変わる❣️
やっぱり買わなくちゃ!
指紋認証しちゃった❣️
10日後に中古が届くという。
読み終わったら、感想書こうか?!