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ああ!勘違い。

花嫁は夜汽車にのって 嫁いで行くの…って歌がある。
🎶花嫁🎶🌸という歌の歌詞である。
 先月、結婚記念日近辺で「花嫁のブーケ」の話を書いたが、大きな間違いをしていた。
 いや、記憶間違え。
 いや、覚え間違え。
 何しろ、間違えていた。
🌸真愛の結婚式の時の花嫁さんのブーケは、
「マーガレット」だった。
(これは、間違いない事実。)
🌸真愛がその頃大好きだった花は、
「リラ・ライラック」だった。
(高校の卒業記念樹にライラックを植えたほど
 好きだった。)
🌸その当時、真愛が花嫁から連想する花束は、
「はしだのりひこさんが歌っていた
 🎶花嫁🎶に
 歌われている「花束」だった。
 そういう恋愛の末の花嫁さんに憧れていた。
 また、反対を押し切ってのお嫁さんになった。
(厚洋さんが、真愛に歌ってくれた歌だった。)
 これらも全て事実である。
🌸ブーケをプレゼントしてくれる友達に、花の
 名前を告げたのは、真愛なのか厚洋さんなのか
 定かではない。
(ここも原因かな?)
🌸結婚式は4月29日。
 ライラックが咲く頃であった。

ライラック

 花嫁は、【リラの花束】ではなく
     【野菊の花束】であった。
小さなカバンにつめたのは
ふるさとの丘に咲いていた
【野菊の花束】♪🎶
だったのだ。

野菊

 この46年間ずっと、間違って覚えていた歌詞である。
 ひょっとすると厚洋さんが自分の好きな北海道の花♪〜リラの花束〜🎶〜と歌っていたのかもしれない。
 人は、何かを記憶するとに一緒に刷り込まれる事が影響して、正しく記憶できないことがあると思う。
「ああ!勘違い!」な事が、山ほどある真愛なのだから、珍しくも面白くもないことなのだが。
 一度引っ掛かるとなかなかそこから抜け出せない。

ヒメヒオウギズイセン

 今、「勘違い」という言葉を使ってしまったが、「記憶違い」と「勘違い」どう違うのか悩み始めてしまった。
「記憶違い」は、自分が体験したり知ったりして覚えていることと事実が同じではないこと。
「勘違い」とは、事実とは違うことを本当であると思い込むこと。
(なんだかもっと分からなくなった。)

 どちらの言葉にも、事実とは違うという意味が含まれていて、似ているような意味を持っているが、ちょっと違う。
「記憶違い」の場合は、「記憶」という点に焦点を当てており、「記憶」が事実とは異なることを意味している言葉で、
「勘違い」の場合は、「認識」という点に焦点を当てており、「認識」していたものと事実が異なることを意味している言葉だという。
「記憶と認識?」今と過去ってことかな?

「記憶違い」と「勘違い」の英語表記はなかなか分かりやすかった。
「記憶違い」 “lapse of memory”
“lapse”には、記憶の一時的な欠け、
“memory”には記憶という意味がある。
記憶の欠損である。
「勘違い」 “misunderstanding”
“mis”は接頭語で誤ってという意味
“understanding”には理解、解釈という意味。
間違った理解である。

「記憶違い」例が面白く、真愛のようだった。
(例)
 小さなころのことをはっきりと覚えているつもりでも、事実は違うことがある。例えば、幼稚園の運動会の徒競走で1等をとったと記憶していたが、事実は違い、“最下位だったことに泣いてしまい、1等の人がもらえるリボンを譲り受けた”のだ。小さいときのことをはっきり覚えていることは少なく、自分が経験したと心にとめていることと、実際のことが違う場合が多い。
(真愛が、いつになっても記憶違いが多いのは、真愛が幼児的なのかもしれない。都合の良いように記憶違いをしているのだ。)
「記憶違い」をしている人は、間違いではないと思っているので、本人は気がつかず、周囲に指摘されて違っていたことに気がつくことが多いという。
 指摘されない限り、本人が自分自身のことについて使うことは稀である。
(指摘されず自分で気づいた真愛は、凄い?)


「勘違い」とは、実際のことではないのに、実際のことだと間違って認識すること。
(この例えも面白かった。)
 若く見える女性と年配に見える女性が、一緒に買い物をしていました。年齢が離れている女性同士が一緒に買い物をしている姿を見た店員さんは、この2人は親子なのだろうと認識をしました。
 しかし、実際は親子なのではなく友達です。
 どちらの女性も30代なのですが、一方は実年齢よりも若く見られ、もう一方は実年齢よりも上に見られていたのです。
 店員さんは親子だと認識をしたけれど、実際は親子ではない、つまり認識したものと実際のことが違うことになったのだ。
例2
 お腹が出ている女性は、妊娠しているのか、そうでないのか判断が難しいことがあります。マタニティーマークを持っていればわかるのですが、それがないときには判断が難しいです。
 そのため、本当は妊娠をしていないのに、妊婦であると認識してしまうことがあります。
(そう言えば、国語部会で提案した時、
 お偉い先生が
「先生。妊娠してらっしゃる?」と聞くので、「いえ、していません。」と答えると、
「じゃあ、言わせてもらうわ、この考えは…。」 
 と思い切り酷評された。
 真愛が太っていて、いや、マタニティドレスの
 ような服を着ていたからだ。
 勘違いも甚だしいが、そうではないから好きな
 だけ言わせてもらうってのもどうかと思った)

これも認識していることと事実が違う例だ。

 自分では正しいと思って認識しているので、指摘されないと気がつかないことが珍しくない。
 指摘しにくいから、相手を傷つけていることも多いと思う。
「勘違い」は「誤解」「思い違い」「心得違い」が類語というのも納得する。

「勘違い」や「記憶違い」の対義語が「正しい」であることから、「勘違い」や「記憶違い」は
「正しくない」事なのだ。
「記憶」に焦点を当てているのか、
「認識」に焦点を当てているのかという違いだ。

ヒメヒオウギズイセン

 どちらも同じ意味なのだが、語感の違いもあると思う。
「勘違い」は、
「勘」→物事の意味やよしあしを直感的に
    感じとり、判断する能力。
「記憶違い」は、
「記憶」→ 過去に体験したことや覚えたことを、   
      忘れずに心にとめておくこと。
      また、その内容。

 真愛の語感的には、「記憶違いでした。」と言われた方が真摯な気がする。
 このnote見出しのように「あゝ!勘違い。」と書かれたら、お笑いの話のようだ。
 まぁ、実際お笑いのようなびっくりする記憶違いだったし、厚洋さんの歌を正しいと思い込んで認識していたなら、それもまた、愛しいお笑い話となる。

マーガレット 野菊の花束

 しかし、真愛が
  命かけて 厚洋さんを愛して、
  恋が結ばれて、二度と帰らない、
  帰れない 何があっても
と思ったのは事実で、
🎶命かけて 燃えた恋が結ばれ
  何もかも 捨てた花嫁は、
  厚洋さんの元へ🎶

は、事実であり、その思いを持ち続けられた二人は偉いと思う。
 きっと、厚洋さんも「あゝ、勘違い」が沢山あったのだと思う。
 でも、「あぁ。勘違い!」で、46年間は凄い。

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maa
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります