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あれから6年

 あれから6年。
 小学校の卒業を迎えるわけではない。 
 大好きな夫厚洋さんが亡くなって6年。
 いつも通りの祥月命日。
 七回忌の法要は1週間以上前に済ませてある。
 仏様の世界では七回忌になると1つ上の如来様に復帰従うそうだ。
 曼荼羅には仏様の智慧を表す「金剛界曼荼羅」と、慈悲を表す「胎蔵界曼荼羅」があり、たくさんの仏様が描かれている。
 その中心にいるのが「大日如来」
 真言宗では一番徳の高い仏様。
 その徳の一つ一つを分担し、姿を変えて我々を助けに現れるのが、阿弥陀様であったり、お不動様であったり、お地蔵様、観音様なんだそうだ。
 すべての仏さまは大日如来様の分身というのだろう。

これかな?

 様々な物事には、情報に捉われることなく広い視野で正しく物事を見極めると、すべてに共通する大きな本質がある。
 それが大きな円の中心ですべてを丸く包み込んでいる大日如来様という。
【共通する本質】
 物事によっては状況によって一つ一つ違った側面があり、その状況に合わせて現れてくるのが色々な仏様。
 完全に調和の取れた世界が、真言宗の曼荼羅思想という。
 そして「曼荼羅」には仏様だけでなく、衆生(生きとし生きるもの全て)が描かれ、私たちもその中に含まれている。
みんな違う生命だが曼荼羅の世界ではみんなつながっていて、不思議なご縁を持って生きているという。(ここが一番解り易い。)


 普段、我々は、身体を使って行動し、言葉を口に出して想いを伝え、心で色々なことを感じ判断している。
 この三つの活動は仏様も同じで、生きる上で大切な行いなのだ。
 本来、我々は、仏様と同じ心を生まれながらに持っているが、日々の忙しい生活の中で、なかなかこの心は埋もれて出て来ない。
 その心を花咲かせ、仏様と同じように行動と言葉と心を清らかにすることで、生まれてきたこの身そのままで仏様になることが出来るという教えが「即身成仏」
 で、修行は精神を一点に集中する瞑想。
 特徴としては、仏様(本尊)の身(身体)と口と意(心)の秘密のはたらき(三蜜)と行者の身と口と意のはたらきとが互いに感応(三蜜加持)し、仏様(本尊)と行者の区別が消えて一体となる境地に安住する瞑想をするのだそうだ。
(難しくて全くわからない。)
 弘法大師はこのあり方を、
【仏が我に入り我が仏に入る】という意味で「入我我入(にゅうががにゅう)」と呼んだ。

若住職が説法

「人が亡くなってしまうということは、
 まことに悲しいことです。
 ことに家族・肉親や、格別親しかった人が、
 ある日忽然と目の前から姿を消してしまい、 
 二度とふたたびその笑顔を見ることも出来ず
 懐かしいその声を聴くことも出来なくなって
 しまうということは、
 人生においてもっとも大きな悲しみです。
「死んでしまえば一巻の終わり」と言いますが
 確かに〈死〉によってその人の一生は幕を
 閉じます。
 しかし、人の全てがその〈死〉とともに終わ 
 り全てが消え去ってしまうのか、
 或いはその人の死後も何か続いていくものが
 あるのかどうかは解りません。
 ただ、〈死〉によってその人の全ては終わっ 
 ていないのです。
 故人の“いのち”もその“こころ”も、
 故人を本当に理解し、慕わしく思う人たちが
 いる限り、その人たちによって受け継がれ、 
 その人たちのうちに生き続けていくと考える
 のが、大人数の人々のいつわりのない素朴な
 感情ではないでしょうか。」

遺影

 故人の忌日にあたり、お導師さまを迎えて、それぞれ有縁の御仏(十三仏等を本尊として) 
 御霊の冥福を祈ってご法事を営むのだという。
 また、御仏の正しい教えを世の中に広めるために、お寺を立派にしたり、仏像や仏画をつくるお手伝いや、写経をしたり、お説教を聞いたり、お塔婆を建てたりなどの福徳を積み、ご縁のある人たちが飲食を共にしながら故人の思い出を語り合うなど、なごやかなつどいを持つことが、追善供養なのだ。
 七回忌は、●阿閦如来様をお迎えするのだそうだ。
 因みに、忌日ごとに仏様は違う。
 四十九日までに訪れる仏様も違っていて、祭壇の右横に書いてあった気がする。
初七日忌 ●不動明王
二七日忌 ●釈迦如来
三七日忌 ●文殊菩薩
四七日忌 ●普賢菩薩
五七日忌 ●地蔵菩薩
六七日忌 ●弥勒菩薩
七七日忌 ●薬師如来
百ヶ日忌 ●観音菩薩

一周忌   ●勢至菩薩
三回忌   ●阿弥陀如来
七回忌   ●阿閦如来

ー 阿閦如来 (あしゅくにょらい)様 ー
  大乗仏教の仏で、
  東の浄土で怒りをたつことで
  悟りをえた仏様。
  密教では左手で袈裟(けさ)の端をもち,
  右手の先を地にふれた座像としてあらわさ
  れるそうだ。
  お坊様は、繰り返し
「大日如来様の東に位置しておられます。
 東の浄土において、怒りを断つことで
 悟りを開いた仏様です。」
と言った。
 東!
 怒りを断つ!
 この6年間で少しずつ、ある怒りは少なくなって来た。悟りを開いてわけではないが、穏やかになって来たということだ。

十三回忌 ●大日如来(金剛界)
十七回忌 ●大日如来(胎蔵界)
二十三回忌 ●般若菩薩
二十五回忌 ●愛染明王
二十七回忌 ●大日如来(金剛界)
三十三回忌 ●虚空蔵菩薩
三十七回忌 ●金剛薩埵
五十回忌 ●愛染明王
百回忌   ●五秘密菩薩

 真愛も厚洋さんも変わっていくのだ。
 気が狂いそうになりながら彼のことを考え、 声をあげて1人で泣いた。
 後追い自死をしたがり、何かするかわからない母親を息子は心配して東京から見に来た。
 当時はたくさんの人に迷惑をかけた。
 43年間も一緒にいた人だ。
 空気のような存在と言うが正しくそれだ。
 プールの中で空気が吸えず、溺れてしまったときに、喉に水の膜が張り空気が入ってこなかった経験がある。
 それだ。死ぬ苦しみだ。
 死ぬことを意識する。
 空気が入らないと言う事は、
 空気がないと言う事は、死ぬことなんだ。
 そんな真愛の空気だった厚洋さんが逝ってしまった。
 たくさんの思い出を残してくれていたが、直前の苦しみがひどかったので思い出せなかった。
 1年経ち、やせ細った体は少しずつ元に戻り
 2年経ち、3年、4年、泣かなくなった。
 毎朝、彼の写真とお位牌の入っている仏壇で般若心経を唱える。
 最初のうちは泣いて声にならなかった。
 もちろん般若心経も諳んじていなかった。
 最近では考えなくても口から出てくる。
 酷い時には「飛ばしたかな?」と思ってしまい、もう一度繰り直す。
 認知症の始まりかもしれないが、すっかりそれは習慣になったことだ。
 毎月の命日にも必ず彼の大好きだった真愛のお稲荷さんを供える。
「真愛のお稲荷さんが一番うまい!」
と、1番最初に褒めてくれた言葉を信じ、毎月お稲荷さんを作って供える。
 そんなありふれた事が72回も続いたのだ。  
 十分に飽きていると思うが、やはりお稲荷さんを供える。
 泣かなかった7回忌を終えた。
 丸6年目の祥月命日には泣いた。

 涙はめったに出ないと出そうになったときにまぶたの裏が痛くなる。
 何度も泣き慣れていると自然に出てきてどこも痛くない。
 慣れだ。
 しばらく泣いてなかったのだ。
(あの時、逝って良かったのだ。)と思い出しては、自分に言い聞かせて生きてきて来た。

 ひとりで迎える祥月命日。
 何も変わってないような気がするが変わってきたのだ。
 彼の植えた樹々は大きくなり、真愛にたくさん剪定されている。
 彼の建ててくれた家は少しずつ隙間が開き始め古くなって来た。
 庭にも家の中にも思い出が山ほどあり、厚洋さんを思い出す。思い出の中でひとりで生きられるようになった。
 もう6年も経ってしまった。
 この家がたってもすぐ40年になる。
 彼は家を建てた。
 真愛は彼のお墓を建てた。
 この家とお墓を守るのが真愛の仕事だと思っている。
 阿閦如来様のように怒りを断ち穏やかに過ごせますようにと願う。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります