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Slow Train
今年のお正月に放送した、新春スペシャルドラマ『スロウトレイン』をちょこちょこ見返している。
鎌倉に住む葉子(松たか子)、都子(多部未華子)、潮(松坂桃李)の姉弟は、交通事故で両親と祖母を一度に亡くした。月日は経ち、二十三回忌の法事の帰り道。都子が突然「韓国に行く!」と葉子と潮に告げる。この告白をきっかけに、三者三様の姉弟に、“人生”という旅路の分岐点が訪れる。
それまでの「3人での幸せ」から、「それぞれの幸せ」と向き合っていく葉子、都子、潮――。
物語は基本的に長女の葉子目線で進んでいくのだけど、お話のベースにあるのが「それぞれの幸せ」と「寂しさ」について。
特に、登場人物が語る“寂しさ”についての言葉がとても心に残った。
➊「僕は常々、人といる孤独が辛いと考えてる、何よりも。だったら一人でいるほうがましだよ」(百目鬼/星野源)
➋「みんなどうしてそう誰かと結びつけたがるのかなぁ。私としては今の生活に満足しているのに、一人ってだけでそうじゃない人にされちゃうのが…」(葉子/松たか子)
➌「(結婚なんてしなくてもいいのでは?と言った葉子に対し)あなた孤独じゃないんですよ。だから簡単に言えるんです。一人でも生きて行けるって。一人じゃないから言えるんです」
(葉子がマッチングアプリで会った男性/宇野祥平)
本当に的を得たセリフだと思う。
➊の百目鬼のセリフ。これは一昨年あたり、配偶者に思っていたこと。
➋の葉子のセリフ。これは今現在、心が元気な時に思っていること。
➌の男性のセリフ。これは今現在、心が元気じゃない時に思っていること。
今は平気でも、近い将来、確実に自分は”寂しく”なると思う。
でも、奇跡的にこの先誰かと過ごすことになったとしても、また➊の百目鬼と同じ状況になるとも限らない。
一番幸せなのは➋の葉子のような状態がこの先ずっと緩やかに死ぬまで続いていくことなのだと思う。
まだ離婚できないこともストレスで、それが自分の力だけではどうにもできなこともストレスで。
その反面、それを免罪符にして『まだ何も次の行動しなくていい』と安心していることも確かで。
友人期間含め10年以上の付き合いの末結婚して、家まで買って、相手の両親の老後まで心配していた矢先にいきなり振り出しに戻るとか。。
頑張って上まで積み上げたジェンガを、最後に蹴り崩された感じ。
それでも腐らず、今はまたイチからブロックを積み上げ直しているところなのだけど、少し積み上げるとまたすぐに崩されて、まったくうまくいかない。
さすがにもう、疲労困憊。
”寂しい”という理由だけじゃ次の恋とか何とか…正直、本当に余裕がない。
まだまだ2人でやりたいこともあったのに。
結婚して叶えたい夢もあったのに。。
…って嘆いても仕方ないから、“誰か”と叶えようと思っていた夢を今、
“一人で”叶えようとしているところ。
でもそこに徐々に付きまとう不安と寂しさ。
最近〈今、自分が居なくなってもさほど誰かの生活に支障は出ないだろう〉と心底思う。
無駄に悲観しているわけじゃなくて、きっとそういう人は私の他にもかなり多い割合で存在していると思う。
それでもやっぱり、貴重な残り何割かの“他人の誰かにとって、誰よりも必要な人”になってみたかった。
もしいつか、その”貴重な何割か”に入れる可能性があるとすれば、それは自分がまた誰かの隣で一緒に過ごせるようになった時なのかもしれない。
最高難易度。
よだきぃなぁ。。
+++
話をドラマへ戻すと、妹の都子(多部未華子)と弟の潮(松坂桃李)は、””ひとりで楽だけど孤独な道””ではなく、それぞれのパートナーと””大変だけどサボらず幸せになる道””を歩むことを決める。
葉子『潮は?どうなのよ。』
潮「一緒に住もうって言われてる。」
葉子『いいんじゃない?』
潮「こういう風に付き合うの初めてだし、どうしていいかわかんないけど。」
葉子『いいじゃない。』
潮「喧嘩したくないんだよな。」
葉子『あんた変なとこ細かいからね。』
潮「姉ちゃんなら無視すればいいけどさ。」
葉子『苦労しなさい。サボらないで。』
”苦労しなさい。サボらないで。”
ああ、本当にそう。
誰かと幸せになるって、サボっちゃいけないことなのだ。
誰かの隣に行くまでの道のりも、隣に立たせてもらえたその後も、
決してサボっちゃいけない。お互いに。
それくらい大変で、それくらい価値のあるものなんだ。
(何もかもめんどくさがっている今の自分のような奴には、誰かと過ごす幸せな生活なんてそりゃあ…到底たどり着けない。。。)
そして、最終的に姉の葉子はと言うと、””ずっとひとりでいること””を選び、物語は葉子から天国の両親へあてた手紙で幕を閉じた。
「前略、ご無沙汰しております。そちらではいかがお過ごしでしょうか。私はといえば、このところ、寂しさについて考えています。これまで、寂しさをろくに感じることもなく、どこか遠い手触りのまま、生きてこられました。それはとても幸せな、贅沢な話です。苦労がなかったとは言いません。まだ幼い弟妹たちを優先して出来なかったこともあります。ですが、それも、私の大切な一部です。今、あらためて、一人を噛み締めています。もうじき私は、あなたと同い年になります。あなたたちが死んでしまった年齢に。あなたにとって何がいちばん寂しかったのか。おそらくはきっと、まだ幼かった子どもたちの成長を見られなかったこと。あなたの子どもたちは、新しい時代を生きています。小石を積み上げるように。ひとつずつ駅を数えるように。私は子どもを残しません。あなたから見ればそれは寂しいことでしょう。だけど案外楽しくやっています。日々を営み、ただ生きて、生きて、生きて。ただ生きて、小さな時間を過ごしています。そして、ひとつの命として、消えていくのです。小さな私たちの小さな営みは、どこへ繋がっていくのでしょう。真新しい滑らかなレールが運んでくれることでしょう。連綿と続く私たちの営みをすべて乗せて、いつかの、遠い彼方まで。まだそちらへは行けませんが、私たちをどうか見守っていてください。草々。」
今の自分は、この葉子のように案外楽しく日々を営めていると思う。
好きなものを好きなだけ楽しめるし、
お金も時間もすべてが自分だけのものだから。
そもそも単独行動も気楽で嫌いじゃない。
でも、そう思える状況は永遠には続かない。
何ならきっと、近い将来それは終わりが来ると思う。
年齢的にもそう。
体力的にもそう。
性格的にもそう。
だって現状維持が1番苦手で、
自分は、孤独に強い方ではきっとないから。
つい最近まで、誰かに『また結婚したいと思う?』と聞かれると、
「分からないけど、死ぬまでにもう1度くらいはデートをしたい」なんて答えていた。
それも嘘ではないのだけど、やっぱり自分は人生でもう1度だけでいいから、誰かに”おかえり”って言ってもらえる生活を送ってみたい。
朝、家を出るときに置いたコップの位置が、夜帰ってきたら少しだけ変わっている生活がしたい…と、烏滸がましくも願ってしまう自分がいる。
それが結婚じゃないのかもしれないし、恋人でもないのかもしれない。
そもそもこんな贅沢な願い、努力を惜しんでいる状態では叶わない可能性の方が現状はるかに高いし、自分が努力出来るほど気持ちが前に向く日が来るのかも分からない。
もし叶わないなら、どうかせめて。
葉子のようにひとり、子供を残すこともなく、一人を噛みしめながら。
ただ強く、小さな時間を過ごす強さを持てますように。
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