たいした頭の持ち主ではないけれど、がんばって、カシコそうなことを書いてみる。

超国家主義と論理と心理 丸山眞男 を ぼちぼち読みつつ

超国家主義と論理と心理 丸山眞男 を ぼちぼち読みつつ、ちと、考えてみる。この本はおよそ70年前にこの国の戦中、戦後すぐを書き表したものだけれど、現在にも十分通用する、これは多分、科学技術や経済を除く多くのものごとが、成長していないということだろうと思う。
この国に住む私達の多くは、なにごとにつけ、できれば責任を取りたくないと思っている。責任をとれと強いられる状況を避けたく思っている、私はそう疑っている、だって、私がそうなんですから。
無責任でありたい、無責任であるためにはどうすればいいか。
他者に責任を押し付ければいいのだ。

「だめだって、私はわかってたんですけど、無理矢理押し付けられて、どうしようもなかったんです。私も被害者なんですよ」
って言いたい。

戦後、国民がとった態度の一つ。「拝啓 マッカーサ元帥様」を読めばわかる。
戦後すぐ、国民はたくさんの手紙や贈り物をマッカーサに送った。

私達をお救いくださりありがとうございますというメッセージが多い。もちろん、散々な負け戦を経験したのだ、その指導をした政府に怒りを感じていても不思議ではないけれど、無責任の体系がら読むなら、責任を押し付ける対象を天皇制や国体といったものから、マッカーサ、アメリカに鞍替えしたとも言えるだろう。

つづく

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