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狂わせてほしい

香港の鬼才、ウォン・カーウァイ監督の映画をみんなで観よう!という集まり(講座)があったので行ってきました。

ウォン・カーウァイ監督といえば・・・

『恋する惑星』や『天使の涙』が有名ですかね。

私は大学生ぐらいの時に観たかな。

高校時代の友人が映画好きだったり(その影響でwowowをめちゃくちゃ観ていた)、大学時代はレンタルビデオ屋さんでアルバイトしていたので、その中の流れでウォン・カーウァイ監督を知ったんだと思う。

とは言っても、相変わらず内容は全然覚えていないのですが、映像の美しさや幻想的な空気や、たちこめる切なさはすごく残っていて。

それで、お誘いがあった時「これは行きたい!」と思ってすぐ参加を決めました。


当日はみんなで『欲望の翼』を鑑賞しました。

先生のお話を聞きながら、最後は作品についてみんなで感想をシェアするのですけど、その中で、「なぜヨディはモテるのか」という話が出て。

ヨディとは、レスリー・チャンが演じる『欲望の翼』に出てくる主人公です。

あらすじ(よかったら読んでね)↓ 


「1960年4月16日3時1分前、君は僕といた。この1分を忘れない。君とは“1分の友達”だ。」ヨディ(レスリー・チャン)はサッカー場の売り子スー(マギー・チャン)にそう話しかける。ふたりは恋仲となるも、ある日ヨディはスーのもとを去る。彼は実の母親を知らず、そのことが心に影を落としていた。ナイトクラブのダンサー、ミミ(カリーナ・ラウ)と一夜を過ごすヨディ。部屋を出たミミはヨディの親友サブ(ジャッキー・チュン)と出くわし、サブはひと目で彼女に恋をする。スーはヨディのことが忘れられず夜ごと彼の部屋へと足を向け、夜間巡回中の警官タイド(アンディ・ラウ)はそんな彼女に想いを寄せる。60年代の香港を舞台に、ヨディを中心に交錯する若者たちのそれぞれの運命と恋──やがて彼らの醒めない夢は、目にもとまらぬスピードで加速する。
映画『欲望の翼』オフィシャルサイト

ヨディって、わかりやすくいうと強引で自分勝手なヒモなんですよね。
愛され捨てられた女たち(スーたち)は、自分を愛してくれる誠実な男(タイド)がいても、ヨディを忘れられない。

男性からすると「なんでや」ってなると思うし・・・。
女性からしても、「なんでや」って思うんですけど・・・。

私はここに、人間の面白さというものをすごく感じるんです。

安心したい、守られたい、私のままでいたい、ずっとここにいたいという欲望と、

狂わせてほしい、ずかずかと入り込んで来てほしい、変えてほしい、どこかここではないところに行きたい、連れ去ってほしい、という欲望。

この相反するような欲望が、どっちも一人の人間の中にあると思うんですよね。

スーやミミにとって、ヨディは異物というか、自分の冴えない(と思われる)日常、このままずっと続く変わり映えのしない生活に突然入り込んできた、あまんじゃくのような存在だったのではないかと。

だから、女たちがヨディに惹かれるのは、ヨディが「狂わせてくれる」からじゃないかな、と思ったんです。

普通の頭じゃいけないところ、しらふじゃいけないところに、「連れ去ってくれた」んです、ヨディは。一瞬でも。

その一瞬が、きっと、彼女たちの人生の核になったんです。


私がそう思ったのは、ゴールデンボンバーの『Hey Yo!』という曲に、

「狂わせてもっと迷えなくなるまで
 愛してよもっとアザが残るまで」

という歌詞があって、ああ、ほんとそうだよなあと思ったからです(笑)。


人間が生きていくのって、多分、どっかで狂わないと正気を保てないんだろうなあ、って。

だから、狂わせてくれる人が必要なんです。
それが、スーやミミにとってのヨディだったのかなと。

そうなると、そもそも正気ってなんだ??って話しですが、それはとりあえずおいといて、このことは、私にとっては福音に思えました。

人間に対する福音であり、希望であり、可能性というか、人間でよかったなというか。めっちゃ面白いところ。

どこで狂うか、というのが、その人のセンスなんだなあとか。
つまり遊びなんです。

このへんの感覚は、村田沙耶香さんの『信仰』読んだ時もすごーーく思って、面白かったんですけど、またそれは別の機会に。


ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。

また、書きます。

『奇想のモード』展で展示されていた靴♡狂っててよい♡

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