オードリー若林さんを隔てる思考の特質性とは何か?
芸人さん全員がもれなく震撼する瞬間とは、どのような瞬間であろうか。
数多の芸人さんがいる中で、その価値観は様々であり、琴線に触れるものは当然一色淡ではない。
だが、『人志松本の酒のツマミになる話』で、松本さんが語った休みの日の過ごし方は、間違いなく全芸人さんが震撼するものであった。
本日は、戦慄の松本さんの休日、そして若林さんの休日の過ごし方を通じて、突き抜ける人の持つ共通項を紐解き、そのプロセスの中で見えてきた若林さんを隔てる思考の特質性を言語化していきたいと思う。
1.松本さんの休日とは?
松本さんは休みの日、個人で保有する事務所のソファーに座り、1日中「この先ないであろう問題」を永遠と脳内シミュレーションし、気が付いたら夕方になっているという。
先に控える特定の番組のことを考えるのではなく、例えば、「『スベりましたやん』と言われたら」「急に文春が来たら」「みのもんたにヘッドロックされたら」といった大喜利をひらすら考えているという。
これが松本さんが今なお、第一線で走り続けられることの答えか、と腹落ちしたと同時に、あまりの唯一無二性にゾッとした。芸人さんが感じた衝撃は自分の比ではないだろう。
番組のスタジオにも「えっ、ヤバ、、」という空気が流れていた。
元が天才、40年になろうとする芸歴の中で、どんな芸人さんよりも実績を積み重ね、場数を積み、影響力を持つ松本さんが今もなお、1人ソファーの上で1日中頭の中で大喜利をシミュレーションしているのだ。
孫正義社長は、終わりなく最新テクノロジーを学び、
大谷翔平選手は、クリスマスも正月も厳しいトレーニングをこなし、
フリーザもセルもいない世界でも、悟空は日々修行に明け暮れる。
トップofトップが時間や目的を問わず、息を吸うかのように鍛錬するのと同様に、松本さんは大喜利と向き合っている。
どの番組でも松本さんに求められるのは、一撃で仕留めにいくボケであり、番組の中で生じるあらゆるシチュエーションに対応できる筋力を備える必要がある。
以前、南キャンの山里さんがブラマヨ吉田さんを、ストロングスタイルでボケ続けるバケモンと評していたが、40年間第一線でボケ続けているのが松本さんなわけだ。
当然、元来のセンスや過去の経験を基とした無数のパターンの蓄積がある上に、誰よりも試合(番組)をこなしており、膨大な筋力の積み上げがある。
その上で、休みの日にも脳内シミュレーションをひたすらこなし、更なる筋力を積み重ねているのだから異次元過ぎて普通にヤバイ。
自分が芸人だったら、完全体のフリーザを前にしたベジータのごとく膝から崩れ落ち、涙に暮れていただろう。
また、トップofトップに共通するのが、鍛錬の状態を楽しんでいる、ということだろう。
孫社長は嬉々としながら頭がちぎれるまで将来への考えを巡らし、
大谷翔平選手は女子アナとの飲み会よりもジムでのトレーニングを楽しみ、
悟空は仮死状態まで自分を追い込むことに極上の快感を覚える。
松本さんも鍛錬という意識はなく、それが休めている状態であると語った。
まさに笑いを愛し、笑いに愛された男、芸人界のサンシャインだ。
2.突き抜ける人の共通項とは?
さて、若林さんの休日はどうか?
若林さんは休みの時間を、
ジェンガ、ミニ四駆、日本語ラップ、ターンテーブル、ゴルフ、散歩、読書、旅行
といった好きなことに充てていると語ってきた。
それらはエピソードトークに繋がる体験であり、体験を俯瞰し、それに付帯する事象の意味を深く問うことが、新鮮な切り口に繋がるわけであり、意図せずとも直接的に仕事に跳ね返る枠組みは、松本さんと通じるものがある。
対象は違えど2人に共通するのは、休みなく常に思考を走らせているということだろう。
松本さんはソファーに鎮座し、若林さんは体験を通じて思考に耽ける。
『ツマミになる話』でフット後藤さんがシャワーを浴びながら番組の至らなかったことに対し、自分を殴りながら反省すると述べ、松本さんも同じようなものと共感した。
後藤さん然り、一流の人は事象に対する反省を通じてよりよい自分になる為に果てない思考に浸る。
思考には体力が必要だ。
深い思考であればあるほど必要となるエネルギーは大きくなる。一般ピーポーは平日の思考体力の消費分を取り戻すために休日は何も考えずに充電する。
突き抜ける人は、休みの日にも思考を途切れさせない。
思考の対象が好きなことであり、エネルギーを消費せずに寧ろ蓄えられる、という面もあるだろう。松本さんはまさにこのパターンだ。
結果、いつもの答え、好きなことをやったほうがいいよね、になるわけだが、それに加え、やはり思考体力の違いは存在してると感じる。
興味のない事象に対しても存在する発想の違いは、センスだけでなく、より深く突き詰めていける思考体力にも起因しているはずであり、思考体力なしでは辿りつけない独自性の境地がある。
若林さんが表現する、人とは違う切り口や物の見方、簡潔に言語化された物事の本質は、元来のセンスだけで導かれたものではなく、海面から何十メートルもの深さを潜り、息苦しさと水圧に踠きつつも行き着いたグランブルーで抽出した思考の結晶に違いなく、だからこそ多くの共感を得る。
3. 若林さんの思考の特質性とは?
若林さんが思考体力の持ち主であることに疑いの余地はないが、他の芸人さんとの隔たりを作り出す思考の特質性とは何か?
それは抽象化思考ではないだろうか。
一般に芸人さんが得意とするのは、その瞬間で力を発揮するボケやツッコミ、エピソードトークを用いた、キレのある『具体的』な「おもしろさ」であり、英語で言うならfunneyだ。
抽象化思考は、具体的事象から普遍性や真理を導き出そうとする思考であり、そこで抽出される「おもしろさ」は重みのある興味深さであり、interestingだ。
若林さんの思考は、具体と抽象の間を遊覧する。
エッセイで綴られる思考の動線は、まさに具体と抽象との遊覧航路だ。
具体的エピソードにおける事象とその時々の心境を整理・抽象化し、抽象化した自分なりの真理にまた違う事象をぶつけながら、強度を高めていく。
そのプロセスを通じて、己の憤りを鎮め、手の及ばない不可変な理不尽をも自分のものにしていく。
磨き上げられた真理は、無二の才能で言語化され、僕たちの手元にまで届けられる。
余すことないそのプロセスの共有に読者は強く惹き込まれる。
若林さんは、自分の体験や人の話を、要はこういうことだよね、と抽象化して収める思考と、自分の中に持つ独自の真理と照らし合わせる検証思考とを同時に走らせる。
話の中に散りばめられている普遍性を咀嚼することで隠れる本質を見出し、経験に裏付けられる苦悩の記憶と共鳴させる。
故に、話を聞いてもらう人は、若林さんであれば文字面だけでなく、奥に深くに潜む想いも含めて理解してもらえ、伝えたい真理に行きついてくれると信じ、穏やかに胸襟を開く。
ロンブー淳さんが『あちこちオードリー 』で語った「こんな話、初めてした」の背景の一端は間違いなく、若林さんの思考の特質性に起因していた。
さて、具体と抽象の振り子は、ビジネスにおいても非常に重要なフレームワークであり、企画ができる人は必ずこの考え方を持ち合わせている。
この思考を極めていったのがキンコン西野さんであり、得意とするのがオリラジ中田さんだ。そちら側に振り切ったお二人は、もはや芸人さんではなく、芸人にルーツを持つビジネスパーソンと定義した方が収まりが良いだろう。
又吉さんに関しては、抽象化といった単純な世界戦でなく、常人には及ばない空間での思考の蠢きであり、事はより複雑だ。
佐久間さんはビジネスとして企画に携わっている身であり、高度な抽象化思考を持ち合わせていることから、若林さんと奥行きが合う。
佐久間さんのラジオに若林さんがゲスト出演した際、具体と抽象を行き来する振り子のリズムが良く、話の波長が合い非常に心地良かった。
大人数のバラエティ番組は具体のみで凌ぎを削るバトルロワイアルだ。
ラジオやあちこちオードリーには抽象化の余白があり、エッセイには広大な自由がある。
若林さんの特質性を活かせるフィールドはどちらかは明白だ。
若林さんには、抽象化の余白を芸人さんとだけではなく、経営者や文化人、芸術家といった抽象化の世界で生きている人との組手によっても埋めてもらいたい。
そこには他の人では至れない、若林さんの思考の特質性によってのみ解像度を高められる未開の世界が存在するように思えてならない。
4. 若林さんは何というか?
「うーん、具体と抽象ねー、そう整理してきたか。。なるほどねー」
「なに、ずいぶんノリが悪いじゃない。腹落ちしない違和感がある感じなわけ?」
「いや、分かるのよ。そうだなって思うし、抽象化思考のある人とだと、奥行きある話ができるし、これは言われた通りなのよ」
「じゃあ、いいじゃないのよ。なにをしかめっ面してるのよ、辛気臭い」
「いや、何かもう悲しくなってきちゃってさ。俺が力を発揮するのが余白のある場所での、抽象化思考の持ち主との組手って言われてる中よ、抽象どころか具体すらない相方とこれからも永遠やっていかなきゃいけない事実に愕然としてるのよ」
「何を言ってんだ!バカタレ!あるだろうがよ、具体も抽象も!」
「お前のどこに具体と抽象があんだよ。お前は制作が具体を生み出すために用意する事象の素材でしかないないだから、何にも考えずに暑い部屋で水曜のディレクターが来るのをひたすら待って、落とし穴にはまってればいいんだよ!」
「何が素材だ!このスターを捕まえて!」
「10年前に使い倒した返しを引っ張ってくんじゃないよバカ、気持ちが悪い」
具体と抽象を行き来できる人の活字は魅力がありますよね。