知らない景色を
2日目は石巻の門脇小学校を見に行く。
昨日に引き続き震災遺構小学校。
これは実際に口に出すことは出来ないが、「がんばろう!東北」とか「震災の記憶を忘れない」とかそういう気持ちは正直あまり無い。
なんとなく惹かれて見に行ってみたという言い方が一番近い。
ただ、これは1人でないと行けないなと思った。起きたことを目で見て、そこで自分がどんな感想を抱くのかが気になった。
30分ぐらい石巻駅から歩いた。
その道が坂になっていて、実際に避難したルートだったと後から知った。
町の高く頑丈な建物には、津波避難場所のピクトグラムがあった。
そしてずっと坂を登っていると、家と家の間から海が見えた。
細い道を抜け、開けた場所に出る。
昨日と打って変わって晴れていた。
目の前には水平線、そして眼下にはまた、だだっ広い公園化された平地があった。でも昨日と違ってすぐ横には住宅街があった。公園には津波を伝えるための施設もあった。通ってきた道も住宅街と学校だった。人の気配がした。
門脇小学校は綺麗に整備されていた。なんだかホキ美術館みたいな出っ張りもあり、中の展示方法もさながら美術館のよう。
一方で、当時の被災後の教室もそのまま残されていた。ガラスが無くなった窓の向こう側には雲一つない青空が広がっていた。その様子と目の前の天井や黒板が剥がれ椅子が散らばった教室の様子がうまく噛み合わず、まるで映画のセットを見ているかのように現実味がなかった。
見所が多く1時間以上は滞在していた。
以下、記憶に残った部分を書いてみる。
・自然災害は同じ場所で繰り返す。
過去の歴史を文書から辿ると、2.3回同じ石巻の場所で大きな津波被害にあっており、ここに家を建てるなという石碑もあった。分かっていたのに防げなかったのは伝承不足という。過去から学ぶこと。むしろそれしかできない。
・「家がなくなったことも悲しいが、そこにあったコミュニティが雲散霧消になってしまったことが悲しい」というインタビューの言葉。
ニュースなどではあまり聞かなかったな、と思う。てっきり家を失ったことの方にショックを受けていると思っていたので、意外に感じたのかもしれない。
この辺りの地域はお祭りとか近所付き合いとか地域のコミュニティが多分強い(祭りでみんなが集まっている写真もあった)。その分しがらみもあるだろうけど。ただ、そのムラ社会が突然何の予兆もなしに解体されること。そのショックは大きいと想像する。
「プレハブで隣が誰だか分からない、都会のマンションのようだ」と書いてあった。でも確かに都会だと、それが普通だ。
・人の個が消えて無名の死者になることの怖さ。
たくさんの死者が出た。波に飲まれて死んだ人は洗濯機の中のようで、服を着ていなかった人も多いとう。死者が多すぎて体育館がすぐにいっぱいとなり、身元不明人から火葬したという。
その話が一番怖かったかもしれない。誰にも見取られることなく分からない人のまま、これまでの生活や人生を誰かに振り返られることなく葬られるということ。
・人をメタ的に見た気分になった。
人間も所詮自然の一部であり、これまで人がせっせと作り上げてきたものはいとも簡単になくなってしまう。その中で働き、生活しているということ。一種の無常観。自然に生かされている。地位も富も名声も本当にあっけないものだと思う。でも人間の命も意外とそうなのかもしれない。その中で何か人として残せるのだろうか。何を目的として向かっているのだろうか。
海がある先に1人で旅をしている。偶然かもしれない。
見どころが多く頭を使った小学校跡を出て、近くの日和山公園へ立ち寄る。ここから海と町一帯を見渡せた。風がものすごくつよい。
神社があった。
お参りして、なんかすごいな と思った。ここにずっと立っているということが。
神様は人間寄りなんだろうか自然界寄りなんだろうか、そもそもそんなものはないのか。
お参りをして後ろを振り返ると、鳥居のバックに平地に戻った大地と、その分大きく広々と見える海があった。神々しい。
また歩いて駅まで戻り、電車に乗って仙台へ帰った。歩き疲れて車内で少し寝た。
自然の美しさと津波被害の対照的な感じ。
石巻へ向かう途中と帰りの列車で松島を通過した。穏やかで波のない水面と点々と存在する島々が織りなす雄大な景観。
石巻駅から歩く道中、高台から見渡した海。水平線は視界に収まらないほど長く、目の前には太陽の光がきらめいて反射していて、とても綺麗だった。
その海と、映像で見た黒い波のうねりが人々の住宅を飲み込んで流していく様子。同じものなのだ。晴れた日に思わず目を細めてしまうような美しい自然も、人の生活を無に帰すような無慈悲な自然も。
その中で生きている。
ここに1人で来れて、よかったと思う。
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