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言葉にできない"何か"についての考察

言葉にできない、あるいはならない"何か"が私は好きだ。

"感慨"とか"Something"とか、現代では"エモさ"とか言うものがそうだと思う。

それは多分言語化するに至らないものなんだと最近私は感じている。
それらはきっと言葉にするほどのことでもないものなんだと思う。

『言葉では言い表せないほどの』とか
『語り尽くせぬ』のような
"過ぎる"表現が私はそれらには似つかわしくないと思った。

寧ろ"満たない"のだ。

「美しい」に足りず、「愛おしい」に足りず、「醜悪」に足りず、「嫌悪」にも足りない。

私にはその劣等がたまらなく良い。

満ち足りたものからは、『欠陥』が欠落する。

言語化できてしまったものには持ち得ない『欠陥』をそれらは含んでいる。

『欠陥』。

完全なものが唯一もちあわせないもの。

それがないことが完全を完全たらしめ、
それを含んでいないことが完全を不完全にする。

全知全能からは無知が抜け落ちる。

"何か"はそれを救い上げる。
到達していないからこそ。劣っているからこそ。

だから、私は言葉にできない"何か"が好きだ。

#だから何とかない

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