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猫視点小説『アストリッド・アストリッド(人語版)』②

 このセカイは、アナタの世界と似通っている。風景や動植物、文化や風土――え?お前は誰だって?ワタシですよワタシ。第一話の初稿には登場していなかったので、ワタシを知らないという方は読み返してほしい。

 チルとピピトに追随して、チルがアシュガに叱られる様をレポートするのも一興だが、そんな場面よりもワタシは、”花の泉亭”の裏に回って、名物のマタタビ入りブレッドが焼き上がる香りを楽しむことにした。「死んでいるのに匂いが分かるのか?」――分かるよ。視覚があるんだ。当然嗅覚も或る。

 嗚呼――くらくらしてきた。良い心持だ。酩酊状態。ん?またあいつさぼってる。花の泉亭の新米コックだ。樽に腰掛けて、花煙草を吸い始めた。なんてことだ!これではマタタビブレッドの香りが濁ってしまう。こういう時にワタシは、現実世界に干渉できない自分に、深い失望を覚える。カノジョが羨ましい。いや、カノジョだけじゃない。このセカイに存在する半透明な猫は皆、様々な能力を宿していている。そして、その能力を駆使して、飼い主の命を守っている。ワタシには、書くことしかできない。猫文字も人間の文字も両方を書くことができるが、それだけだ。それだけがワタシの取り柄。あのコックが花煙草を吸っている間に、このセカイの概要を記すとしよう。

 アナタの世界で言う所の海、塩の水で出来ているそうだね?だがこのセカイは違う。砂だ。非常に細かい砂がこのセカイの大半を覆っている。一つの大陸があり、その周りに大小の島が浮かんでいる。砂の海にだ。船?あるよ。渡砂船というものだが。概ね、アナタの世界の船と同じ構造だ。帆船で風を受けて進む。砂に沈むんじゃないかって?ご心配なく、このセカイには、浮沈木と呼ばれる都合の良い樹木が数種あって、その樹木を加工して造った船は、例外的に砂に沈まない。第一話で、ピピトが乗って来た船もカシカナメという浮沈木で造られている。
 ピピトのは花を運ぶ為の荷船だが、軍艦もあるし、レース用の船もある。軍艦はマツバギスという黒くて丈夫な浮沈木で造られ、レース用の船は、ノキノキという白っぽい軽い木で造られる。
 軍艦があるということは戦争があるということだ。今このセカイは今、大変なことになっている。先の皇帝が死去して、その皇子や皇女たちが相続争いをしているのだ。大陸の中枢部は自称皇帝の第二皇子が統べ、そして各半島に第一皇子、第三皇女といった有力な統治者が乱立してにらみ合っている。大陸の趨勢はそんな感じだ。それとは別に、砂海に浮かぶ島にも武装勢力が無数にいる。この島もその一つだ。ちなみにアシュガは第七皇女だ。
 小競り合いは絶えない。大きな戦闘もたまにある。毎年、一つか二つ、小さな国が滅ぼされる。この島が攻め込まれるのも時間の問題かもしれない。だけど”大陸から遠く離れ、さしたる資源も武力も持たないこの島をわざわざ攻め滅ぼすのは労力に合わない”と皇帝が言っていると、皇帝が飼っている半透明の猫から聞いたと、カノジョから聞いた。真偽は不明だ。

 お、あのコックが叱られている。「次やったらクビ」だってさ。いい気味だ。嗚呼、ワタシに声を出す能力があれば、あのコックがサボっていた時にチクることができるのだが――ん?チルとピピトがやってきた。珍しいな。午後は暇をもらったのだろうか?まぁ、その辺は話を聞いてみれば分かることだろう。ワタシもサボるのはこの辺にして、本編を執筆しなければ、アナタからクビにされてしまう。二人が店に入って行ったので、ワタシも入る。

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