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猫視点小説『アストリッド・アストリッド(人語版)』③

「叱られちゃったねチル」
「うん。でもピピトが居てくれたお蔭だよ、あれくらいで済んだのは。それに『食事でもしてきなさい』って午後はお暇を貰えたし――」
「あ、すいません。ミルクとマタタビブレッドのセットを二つください」
「ピピトは、いつもマタタビブレッドね。よっぽど好きなのね」
「まぁね。多分、”猫が憑いてる”からだな。今も見えるのかい?」
「今は、居ない。私の猫しか」
 猫である”ワタシ”の緑色の目をチルが覗き込んでいる。
「僕にも見えればいいのになぁ」
「無理よ。知ってるでしょ?これは呪われた血のせい、魔女の血を継ぐ棄民だけが、”半透明の猫”を見ることができる」
「”棄民”なんて言葉を使うのは止しなよ」
「うん」

 酒場の喧騒がたまに途切れ、会話が聞こえる。
「……魔剣狩り……第二皇子が派兵した……」
「俺は見た……あれは、軍艦だった……赤地に黒い掌の紋様、第二皇子の軍旗だ」
「おい、見ろよ。棄民のガキがいるぞ」

「チル、気にするなよ」
「いいの、慣れてるから」

 チルのように黒い肌を持つ人種は、漆黒の魔女アクイルギラの血を引いているという真偽不明の言い伝えで、差別され、大陸から追われ、棄民と呼ばれるようになった。
 遡ること三千年前、三人の魔女が争いを起こし、強力な魔法の応酬が繰り返された影響で、このセカイは砂漠の海に囲まれてしまったと言われている――真偽は不明だ。ともかく、魔女の血を引くという怪しげな風説のせいで彼らは差別され、あろうことか棄民などという、言語道断な呼び方を――。
 いや、ワタシは真相を知っている。言い伝えはすべてこじ付け、つまるところ人間と言う生き物は、弱者を差別して、自分たちは奴らとは違う!優秀な集団なんだ!と信じ込まなければ、結束することができない存在なのだ。この点が猫と大いに違う。いかん!マタタビブレッドの香りで、酔ってきた。

「チル、勉強は進んでる?文字は書けるようになった?」
「うん、だいぶ。アシュガ様は教え方が上手だから」
「植物学者になりたいんだろ?」
「うん。植物学者になって、砂漠の海でも育つ植物をつくるの」
「そっか。頑張ってるんだな」
「ピピトはどう?やっぱりまだ、剣士になりたいの?」
「父さんが有名な剣士だったし、できれば僕も……でも片腕じゃ無理かな。魔剣でも持てば別だろうけど」

「魔剣?」
「魔剣?!」
 酒場が静まり返る。

「おい、そこの少年。お前今なんて言った?魔剣士になりたいと言ったのか?」
 声の主は、短い頭髪と髭、すべて銀のように白い老人。
「違います。僕は剣士になりたいと言ったんです。でも片腕しかないから――」
「片腕しかないから、魔剣の力を得て強くなりたいとでも?」
「違います。そうは言ってません」
「魔剣の恐ろしさを知らないのだな?教えてやろう。あれは、魔女が造り出した恐ろしい兵器、この世界に存在してはいけない代物だ。皇帝亡き今、皇子皇女どもが、祠や遺跡を漁って血眼になって集めている――魔剣狩り、聞いたことあるだろ?何しろ魔剣が一本あれば、千人の兵に当たることができると言われているからな。皇位継承争いは、とどのつまり、誰がより多くの魔剣を所有するかという争いだと言っても、過言ではない」
「詳しいね、お爺さん」
「まぁな、褒められついでに言うが、魔剣は誰にでも扱えるわけじゃない。”握痕”を持つものでなければ、その柄を握ることさえできない」
「握痕?」
「正確には”アクイルギラの握痕”と言う。掌の形の痣を持つものだけが魔剣を――」
「大変だ!」
 酒場に男が駆け込んできた。
「第二皇子の艦隊がこの島に迫っている」

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