写真のカテゴリ分けについての雑考
写真には様々なカテゴリーがあります。
ストリート、スナップ、ポートレート、静物、風景、建築…などなど、いろいろなジャンルにくくられているのをよく目にします。写真のコンテストではある程度、もしくは詳細にジャンル分けして写真のカテゴリ毎に応募をするよう規定しているところがほとんどです。
これって何なのでしょうか。写真はどれかのカテゴリに分かれていなければいけないのだろうかと考えたのですが、どう考えてもそんなはずはありません。写真は写真です。ただの写真です。カテゴリなんてものは後付けのはずなのです。
思うに、ジャンル分けというのは、本来、見る人へ対しての「どう見たらよいのか」の指針なのではないでしょうか? 例えばジャンル名である「風景」は自然環境やその風景を見て感じる事、「ストリート」は街の中で発見された光景や起きた出来事の楽しさ珍しさを見る事、「ポートレート」は被写体の人物像を見て知るということ、「スナップ」のその場にいるかのような臨場感、「静物」に含まれる隠喩を読む楽しさ……など、これらが合っているかはわかりませんが、例えばこんな感じで、写真にジャンルが添えられていたら写真の読み方の指針になるのかもしれません。僕はいわゆる”ステートメント”というやつの、もっと大雑把なものと捉えてもよいのかな、と考えています。
コンテストは競うものなので、レギュレーションを決める必要があります。その際に使用カメラや撮影時期などと一緒にざっくり応募写真のカテゴリ分けをするというのは理にかなったことでしょう。どの型の中で競うのかを決めた方が応募する方も審査する方もわかりやすいというものです。もちろん写真には写っているものの数だけその本質があり、カテゴリでは捉えられない写真も出てくるでしょう。そういう写真を撮っている人は、無理やりカテゴリとその定義に寄せた解釈をするか、ジャンル分けのないコンテストを探すか、そもそも型に嵌めるものに手を出さないかになるのかなと思います。
僕の好きな写真家のマイケル・ケンナ氏は、基本的に人物のっていないモノクロの風景の写真ばかりを撮っている様に見えます。ジャンル分けとしたら風景写真となるのかもしれません。しかし氏のステートメントでは
ということで、映しているものの本質は目の前の光景ではなく、そこにかつて存在したものを撮ろうとしている。風景はメインの被写体ではなく触媒なのだとわかります。こういった場合は、写っているものが風景だから「風景」なのか、テーマが強いので「ファインアート」なのか。
今年も写真の賞に応募しようとして写真を選びながら、自分の写真はどのカテゴリにいれて応募するべきなのか、または評価されたいと願っているのかなどと考えていました。
おしまい
(♡を押してくださったりマガジンに登録してくださるとテンションが上がります)
過去の記事などです↓