ぼくに忘れられていた写真たち
何かエモーショナルな気づきや体験があったわけではありません。
先日noteの記事を書いている時に過去のカメラロールを見返していたのですが、lightroomでレーティングを付けていない写真や、現像すらしていない写真の中に、今見返すと面白いなというものがありました。
それらから幾つかピックアップして、現像したりしなかったりして、ここに貼っていこうと思います。
2019年のカメラロールから引っ張ってきた写真たちです。
2019年の記憶でもあります。
おそらく当時の自分はちょっとしたピンボケや手振れのあるものは没にしていたのではないでしょうか。
今の自分は、ブレ、ボケ、なんだかよくわからないもの、というのが、とても興味深くなっています。成長したのか適当になったのかはわかりません。
感覚が当時のままではないという事は確かなようです。
撮影や旅から帰ってくると、写真をPCに取り込んで、何百枚か、もしかすると千枚以上とかの写真から
「これは現像しよう」「これは無視でいいか」「これはよくなるかも」
と写真を使う使わないの選別をする作業をします。
この数があまりにも多いと、撮るときに感じていた「何か」を取りこぼすことがあるかもしれません。
撮っている時と選んでいる時では、写真に向き合うスピードが段違いです。圧倒的に写真を選別する時の方がスピードが速く、そのため疲れ、だんだんと判断が鈍くなっています。
僕がこういう選び方をしているので、撮影していた時に見て撮ろうと思った微細な事象を、つい見逃してしまっているのかもしれません。
もしかしたら、ただ単にそれが写っていないだけかもしれませんが。
フィルムなんて「あーーー写ってないなあーーー」って思う事だらけです。
そもそも僕はネガをスキャナで取り込んで見ているので、フィルムの良さやラティチュードの広さや紙に焼いた時の美しさなんかを体感せずに選んでいます。
ならばなぜフィルムで撮るのかというと、
フィルムカメラで撮るのが、シャッターを押すのが楽しいからです。
ただそれだけです。
よく写って、構図もきまって、派手な写真は、最初に選んだ時にだいたいもう既に選んでいて、現像もしていました。
ですが、よく写っていなくて、構図もよくわからなくて、地味な写真の中にも、自分が「好きだなこれ~」という写真はありました。
たとえレーティングをして選んでいても、忙しくて、現像する写真に優先順位をつけているうちに、地味な写真たちは後回しにされ、そのまま現像されることなく、僕以外に見るひとのないまま、忘れ去られていったりします。
フィルムの同時ブリントで36枚の紙焼きを受け取り、アルバムに貼って後で見返すというような訳にはいきませんが、でもこうして、数千枚、一年で数万枚の写真の、選ばれなかった撮影した時の自分の気持ちを、見返してみるのはとても大事な事なのではないかと思います。
2019年と2020年で、社会に大きな変動があったとはいえ、
こんなにも今自分が見て「面白いな」と思う写真を取りこぼしていたのです。もっと遡ると、もっともっといろいろな発見があるかもしれません。
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