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千と千尋の神隠しから見る現代社会②

前回の記事では千と千尋からの「ジェンダー問題」へのメッセージについて書きましたが、今回はもう一つの側面である「アイデンティティ」という概念について詳しく説明したいと思います。

まず、アイデンティティってなんですか?自己同一性!自分であること! と答えられても「は?」って感じですよね

そもそもの自己同一性ってなんぞやって話なわけですよ。では、一緒に考えてみましょう!

①アイデンティティとは他者から与えられるもの

通常、アイデンティティとは「その人が何者であるのか」を証明するものです。

identity→i(私) dent(識別)

例えば、名前や職種、父親や母親などは、自分がどのような人間かを説明するアイデンティティであり、これは生きていく上で欠かせないものでしょう。みなさんがSNSのプロフィールに書いている情報はすべてあなたの「アイデンティティ」なんです。

そしてそのアイデンティティは大概他者によって与えられるものなんです。名前は親に、年齢はこの世の中から与えられた区分ですよね。自分が自分のことをどう思っても自由ですが、他者の視線、すなわち客我がそれを承認しなければアイデンティティは確立(安定)しません。大人気マンガ「ワンピース」を例にとってみましょう。主人公のルフィは海賊王になりたいと言っていますね。自分のことを海賊王であると言うのは彼の自由です。いつだって「俺は海賊王になる!」ではなく「俺は海賊王だ!」と勝手に言っていてもいいわけです。しかし、周りの人たちが「ルフィは海賊王だ」と承認してくれなければ、彼の中で「自分は海賊王だ」というアイデンティティは確立しません。つまり、他者の承認がなければアイデンティティは健全な形で保たれないということです。これを「存在論的安定」といいます。反対に、自分で「私は~である」と思い、自己啓発をしたところで、他者からの承認がないまま努力してもいずれ挫折してしまう、これを「アイデンティティ・クライシス」と呼びます。存在論的安定において最も重要なことは、自分の存在が他者によって肯定されていることを感じることなんです。たとえ、いかなる称号や賞賛を与えられたとしても、それはあくまで「部分的な承認」であって、自らの存在を無条件に評価されることがなければ「全体的承認」は得られないということです。そしてこれが得られなければ、自分の存在価値を肯定的にとらえられず、彼/彼女の人生を消極的なものにしてしまいます。

②最も重要なアイデンティティ

人間にとってもっとも大切なアイデンティティは何だと思いますか?

それは名前です。

あなたは誰なのかと聞かれれば、まず名前を答えるのが普通でしょう。しかし、それはあなたが規定したものですか?違いますよね

名前というのはまず親に与えられ、そして周りの人たちから呼ばれることで確立されていきます。

あなたがケントという名前なら、まず親がそれを与えます。そして友達にケントと呼ばれることによって、「自分はケントだ」と実感が持てるようになります。そして戸籍上の名前があなたの名前を確立させているわけではないんです。例えば親しい友達にはケントという実際の名前ではなく、ケンというあだ名で呼ばれている場合も、あなたは自分のことを「ケン」であると規定することができます。戸籍がその役割を担っているならあだ名という文化は存在するはずがありません。つまり、周りから名前を呼ばれなければあなたは名前という重要なアイデンティティを持ち得ないわけです。

③名前を失ったハク

さて、ここからが本題になります。といってもの勘の良い方はもう見出しで全部わかっちゃいますかね?

千と千尋の神隠し中で、この人間にとって最も重要なアイデンティティである「名前」を失ってしまったのがハクです。(ハクは実際人間ではないですが)

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「ハクかっこいい〜」とか言ってる場合じゃないんですよ。笑

彼は湯婆婆の弟子として油屋で働く青年ですが、彼は自分の本当の名前を知りません。湯婆婆に名前を奪われ、そして新しい名前を与えられたからです。しかし、自分の名前を忘れることなんてあるの?という疑問があるかと思います。

私は十分に考えられると思います。

あなたが10年間かそれ以上、自分の名前ではなく別の人の名前を呼ばれ続けたら本当の自分の名前を言い張って生き続ける自信がありますか?先ほども説明した通り、名前は他者に呼ばれることで確立していくアイデンティティです。つまり、他者によって変更可能というわけです。

そしてハクは昔の名前を忘れてしまった。それが故に、昔の名前だったころの過去の記憶がなくなってしまったのです。ハクというアイデンティティが完全に確立されてしまったことにより、昔の自分の大事なアイデンティティは失われ、どのような人間であったのかを思い出せないというわけです。

ハクは千尋が湯婆婆に「千」という源氏名を与えられた後に、彼女にこう伝えます

「湯婆婆は相手の名前を奪って支配するんだ。いつもは千でいて、本当の名前はしっかり隠しておくんだよ。」

実際このシーンのとき千尋は自分の本当の名前は千尋であることを忘れかけていました。湯婆婆が他人を支配できるのは、他人のアイデンティティを奪うことで可能になっているということです。ハクもその一人ですね。

恐ろしいですね、湯婆婆は。。

④他者による規定からの脱却

映画を見た人はわかると思いますが、千尋は結局自分の名前を最後まで忘れずにいました。もし忘れてしまっていたら、一生「千」のままあの世界で支配され続けていたことでしょう。

このアイデンティティをめぐるシーンへの私の見解は、他者による規定からの脱却ではないかということです。

アイデンティティは外圧への反応として立ち上がるものであることは避けられませんし、自発的に確立できるものでもありません。しかし、千尋は他者から規定された自分ではなく、本来(過去)の自分として生きること志として、様々な苦難を乗り越えました。

ここから読み取るに、我々人間は他者の望む通りに生きることを無意識に、自己の中で選択していないだろうか。もっと自分がなりたい姿を追い求めていってもいいんじゃないか。

私はこんなメッセージを受け取りました。

⑤まとめ

この側面での議論はファンの中でも奮闘しているもので、なにが正解であるのかは正直わかりません。しかし、私は別に正解を見つける必要はないと思っています。もし、正解があり、宮崎駿監督がその正解を導き出すことを私たちに求めているのだとしたら、この映画のテーマは崩壊してしまうでしょうから。

読んでくださり、ありがとうございました!

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