小山貢弘個展「芽吹きの方法」【後編】
この記事は小山貢弘個展「芽吹きの方法」のために事前に行われた、小山貢弘と篠田優によるインタビュー記事【後編】です。
【前編】はこちら→◎
【作家】小山貢弘
【聞き手】篠田優(写真家・Alt_Medium)
〔作家プロフィール〕
小山貢弘 / KOYAMA Mitsuhiro
1980年生まれ
日本大学文理学部ドイツ文学科卒業
東京綜合写真専門学校卒業/同校研究科卒業
〔個展〕
2018 「Winter Gardens」(gallery mestalla / 東京)
2014 「Botanical Gardens」(gallery mestalla / 東京)
2009 「plant」(gallery mestalla / 東京)
〔グループ展〕
2014 AKITEN 八王子市
2013 AKITEN 八王子市
2008 「鼓動する景色」(バンクアート横浜 / 神奈川)
〔Website〕
http://koyamamitsuhiro.com/
また、展覧会の詳細は下記でご覧いただけます。
https://altmedium.jp/post/647973551533604864/
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2.
S:続いて影響を受けた作家を聞いてみたいんですが、最初は柴田敏雄さんやベッヒャー・シューレの写真家たちでしたっけ?
K:あとロバート・アダムス。ダイアン・アーバスが昔から好きです。それから畠山直哉さんも当時影響を受けました。 篠田さんが仰るようにベッヒャー・シューレからスタートして、彼らに関係する写真家を辿っていき、そこから広がりを求めていったという感じです。
S:その意味では、小山さんはわりと自分の撮るイメージと影響を受けた作家の作風が近いというか、はっきりと自分に影響を取り入れていくタイプなのですね。
K:そうですね。情報が多すぎる中でオリジナリティを確保するために写真集を見ない人もいますが僕は積極的に見ようとしていました。
S:影響を受けない人なんていませんよね。写真は写真集以外からもいろいろ影響受けますし。これだけ映像が氾濫しているなかで影響を受けないというのは、この俗世では難しいと思います。ゼミの指導教官だった金村修さんからの影響はありますか?
K:大きいですね。もちろん作品もそうですが、うちの写真学校はユニークで、作家・表現を目指していくっていう教育でした。世の中ですぐに通用するわけではないのですが、 先生方が現役の写真作家であることが多く、表現とは何かへの取り組み方、考え方を教えてくれました。金村先生もそうだし、柴田先生も、伊奈先生も。そういう背中を見た影響は多大だと思います。
S:ある種、作風以前のスタイルというか、写真家としての信念や姿勢というものですね。その点はやっぱり撮り続けることは重要ですよね。
K:同じモチーフを続けていく作風ですと、観ている方から「それ飽きたからもういいんじゃない?」と言われたこともありますし、ずっと同じことを続けることを批判する人もいますよね。 けれども、同じ作業を続けていくことで、自分の中に方法論を体得して初めて理解できることや、
あるいは写真の微妙な差異の側に、僕は価値を見出しています。例えば撮りつづけていくと、逆に自分が撮らなかった傍らにある対象にも面白さがあることにふと気づくことがあります。今まで見逃していたものが、今度はむしろ作品の重要な位置をしめていくという反転を経験したこともあります。同じところにある風景でも、理解の深度が変化することで、いくつもの見方があることに目が向いていくんです。展覧会で新作を出したとしても、中には「前と同じ写真だよね」って言われることがあります。しかし僕にとってそう言われることはむしろ成功であって、小さな変化に懸けた帰結だと考えています。
S:それは同じ場所に向き合い続けたからこそわかることですね。作品を雑に見ている人からすれば全部ただの藪や同じもののように見えるかもしれないけど、撮り続けることで眼差しに備わった解像度が上がっていくようなことあると思う。現在だとリサーチを中心に、限られた期間で作品をうまく完成させようかとか、今回はこれをテーマとして、次はこれで………と、コロコロとモチーフやスタイルを変えていくことでアーティストとしての経歴に厚みを増していく人もいますよね。そうした人と比べると小山さんの作品は一見すれば愚直に見えるし、ある種修行や徒労のようにも思えます。しかし、同じように見えるだけで、決してそれは同じものを撮っているわけではなく、むしろ繰り返すことによって同じではないことに気がついていったり、そこにある差異に敏感になったりすることができるのだと思います。
K:同じ場所を執拗に撮影して、もう撮る場所がないと思うことも場所によってはあります。ある場所を撮影していた時にこれ以上 撮っても新たなことは見つけられないと思って、そこでの撮影をやめたこともありました。その一方しょっちゅう通っていた場所に、しばらく行くこともなくなり、その後久しぶりに訪れたら、更地になって今まで撮っていたものが全くなくなってしまっていたこともあります。河川敷は他の土地と比べてもやはり変化が激しく、そういう面白みを持っている場所だと思います。
S:それこそ台風がきて、水が増えれば必然的に土地の形が変わってしまいますよね。その意味では小山さんの作品は一種の記録の側面もあるかもしれません。関心が薄い人からすると、小山さんの作品は抽象的な植物の様相みたいなものになってしまうけど、実はある場所、ある時に固有の姿であって、しかもそれらはもう存在しないかもしれない。言うまでもなく、植物は常に変化しています。
K: 僕が写真を撮る上では、記録というのは常に念頭にあります。なので僕の作品は多摩川の川崎からちょっと奥多摩手前ぐらいに特化した広い範囲の定点観測です。
S:表現ということはあんまり意識してないのでしょうか?
K:表現というか、結果的に記録という要素の方が大きくなりました。
S:面白いなと思うのは、小山さん自身には植物やその場所に、個人史的な思い入れがあるわけではなさそうなところです。
写真にしたときにそこがどう見えるかという興味がまずあるからこそ、関心が続いているんだろうなと思います。ある種これが写真なのかと言われるような新しい表現をしたいというよりは、写真にこうした機能があることを前提として、それを使い込んでいくということですよね。
K:最初のきっかけは探究心や冒険心みたいなニュアンスで、発表する表現ではあるんですけどね。でもなんというか、やっていることは実験とかでもなく、より記録に近いものなのだと思います。記録といっても広範な意味を持っているはずです。さきほどから述べているように、フレームの外にあるものや、絶えず変化していくもの。そうしたことに目を向けることをも含むでしょう。それらひとつの対象に真摯に向き合うということをしているつもりです。
例えば沖縄のガマがそうですけど、強い意味がある場所は撮るだけでその存在感が強い。でもそれを一度撮って、終わりました、じゃなくてそのガマを30年撮るとしたらその仕事は大変なことです。 それは写真によって初めて可能になる記録だと言えないでしょうか。それが面白いと思うし、そういう強さは写真が本来持っているものですよね。
都市でも、例えば渋谷駅を見ていても思いますが、目まぐるしく変わるじゃないですか。そういうのは写真の対象として面白いですよね。
S:数が集積されていくというか、アーカイブできるところに写真の強みみたいな、媒体としての有効性があるということですね。それは作品というパッケージングされたものを作ろうという意識では難しいことでもあります。一見すれば小山さんの写真ある種の均質さを志向しているようにも見えます。しかし、注意深く見れば、小山さんの写真というのはまさに変化するものというか、時間ごとに変わりゆくものを捕らえていくという面白さを見出すことができるように思えます。そこでは写真を鑑賞する側もまた試されているようですね。
K:写真展を訪れる人が気づいてくれるかどうかはわかりません。でもそれはそれでいいんですよ。
S:そこはやっぱり糾弾するわけではないけれど、指摘してるところはありますよね。静かに、声高にではなく。
3.
S:機材オタク話ではないけど、写真作品にとって機材は重要なファクターだとおもうので聞いてみたいのですが、いま小山さんが使用しているのは4×5インチの大型カメラだけですよね?そうした大型カメラを使用する理由はなんでしょうか?
K:なんだろうなぁ、僕は4×5カメラを使ってみたいというより、この景色を撮るならカメラを構えて撮りたいという気持ちが強かったです。あとは大きく伸ばすことで細かい情報がみえてくることがあります。固めてガチっと撮る、被写体を丁寧に撮ってあげることに目がむいてきたから4×5カメラを使うようになったんだと思います。
S:大型カメラの特徴とも言えますが、他のカメラと比べて撮影枚数が相対的に減りますよね。それは悪いことばかりでは無くて、一つ一つのイメージを絞り込んで撮影することができるといえます。小山さんは一回の撮影で何カット撮りますか?
K:10カットと決めています。
S:カット数は最初に決めているんですね。10カットだと、例えば魅力的な場所や瞬間に出会ってしまうとすぐ無くなってしまいませんか?
K:すぐなくなるので、足りない時もあります。でも逆に8枚しか撮れなかったな、なんて日もあります。僕は1フレーミングで1カットの撮影で、もし撮れてなかったらそれでいいって思っています。
S:大型カメラってそれ以外にも困難に直面することもありますよね。例えば撮影の手順。というかそもそもカメラ自体が大きく、三脚が必須だし。それにともなってポジションの設定も難しいときがある。だから特に藪みたいな場所だと撮影が大変だと思います。
K:そうしたことはめちゃくちゃありますね。とくに河川敷といった場所だとぬかるんでズボッといくこともあるし、三脚が平行に立たないってこともよくあるので結構辛いですね。試行錯誤はしますが、そういうときは撮らないという選択肢を取ることもあります。
S:カラー表現に対するこだわりはありますか?
K:東京綜合写真専門学校の最初の方の授業はモノクロ写真で、もちろん暗室ワークもそうでした。モノクロプリントもすごく好きだし、面白いんですけど、僕はわりと作品をカラー写真にしたい欲求は結構早くからありました。というのも河川敷を撮影していると、季節の移り変わりみたいなものはカラーじゃないと伝わりにくいということが理由の一つにありました。
S:その中でやっぱりデジタルカメラを使おうということは考えますか?
K:もしフィルムがなくなる状況がきたら、デジタルに移行する可能性はあります。今はまだ、銀塩のプリントが可能な状況なので、デジタルで撮影するよりもフィルムを使いたいと思っています。
S:フィルムが手に入る状況、暗室でプリントができる状況においては、やはりそちらを優先したいということでしょうか?
K:そうですね、大伸ばしは自分ではさすがに出来ないのでお願いしますが、20×24サイズまでは自分でプリントしたいです。あるいはデジタルプリントをするにしても、フィルムからスキャンしたものの方が、綺麗に感じます。
S:フィルムで撮影してスキャニングする人は僕自身も含めてそれなりにいますし、最後だけはアナログ出力でという人もいますが、撮影から出力まで一貫してアナログの感光材料を使用することは、現在では一種の作家性を形成する選択といえるかもしれない。フィルムや印画紙は、デジタルカメラの目に痛いほどの解像感とは違って、ディティールがなだらかに変化しているというか、柔らかさみたいなものが魅力的ですよね。
K:あとは粒子の感じが曖昧な感じというか、パキパキしない感じ。
S:不思議なもので、単に解像感の高さを求めるだけなら最新のデジタルカメラでもいいのだけど、大型カメラの精細さというのはそうした解像感とは少し異なっているように僕自身も感じます。解像度をどんどん高くすればいいという問題とは違うんですよね。どこがどう違うという説明がし難いのですが……。
K:フィルムはそうですね。なぜフィルムかという問いと、なぜデジタルなのかという問いは、やはり写真の感光プロセスへの捉え方によって、立場が変わると思います。
S:それはそうですね。そこがすべて理路整然と答えられなければならないというわけでもないですよね。
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【インタビュー後記】
小山さんはキャリアの早期より一貫して河川の周囲へとレンズを向けてきたわけですが、そうした場所で撮られた作品群は、一見すればなんの変哲もなく植物が繁茂する様子をとらえたもののようです。しかしお話をうかがうと、そうした土地や植物の様相は一時も留まることなく変化しているものであることに気付かされました。また、長期的な展望のもとに地道な記録を重ねていくその撮影実践が、先行する写真家の実践や写真という媒体がもつ機能への意識に裏打ちされていたことがわかりました。その意味では、小山さんの作品を前にして、鑑賞者もまた自らのまなざしの深度を問われているようにも思えます。
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