恥なんかじゃない・いじめによる精神疾患とアルコール依存症
もう20年前くらいになるか。
母には、アルコール依存症の娘さんがいる友人がいた。
今でも付き合いがあるかは知らない。
その娘さんは私が話を聞いた時にはかなり重症化していたようで、家族がなるべく外に出さないようにしていたようだ。
母にもそれまで話してなかったらしい。母は何かを感じ取ったようで、その友人に聞いた。
「あなた、恥ずかしいと思ってるの?」
勿論そんなことは思ってないと言う。しかし母は問いただす。
「じゃあなんで今まで内緒にしとったん」
家のことやから…という感じのことを言ったらしいが、母が言った。
「あんた、その娘殺す気か?」
母には、許し難い経験があった。
それは今こうして書いているだけでも涙がこぼれるほど、私にとってもつらい記憶だ。
母の実家は地元ではちょっと名の知れた地主で、戦後の農地改革までは大勢の小作人がいたそうな。
その家の長男で母の兄=私の叔父は、尺八の奏者であり作曲家としても学校の校歌など手掛けていたようで、地元ではそこそこ知られた人だったらしい。その叔父がヴァイオリンを弾いている戦中と思しき写真が母の手元に残っている。そんな家なんですが、私が2歳かそこらの時にその叔父の父と叔父が乗った車が居眠り運転のダンプと正面衝突し、母の実家は一瞬で二人の大黒柱を失うという惨事に見舞われる。
そんな時でも、玄関で土下座をし一生かけて償いますと涙ながらに謝罪するダンプの運転手とその奥さんを前に祖母は「あなたが賠償金を払っていたらまともに生きていけんやろう。私たちは何とか生きていけるのでなんも払わんでええ」と告げてその夫婦を帰してしまったという。そういう胸の奥に秘めたプライドを持つ、そんな家だった。
私はそんな祖母が大好きで毎年その家に遊びに行っていたが、私のお目当てはもう一人いた。それは事故で亡くなった叔父の一人息子でいとこのケンちゃんだ。
私の記憶がある小学校低学年の時には、すでに私の特技は絵を描くことだった。絵と言っても漫画のキャラクターを描くことで、暇さえあれば漫画のキャラクターを描いていた。その頃の私のヒーローは、そんな漫画のキャラクターをその漫画家が描いたように、いとも簡単に模写してしまうケンちゃんだった。ケンちゃんは穏やかな性格で、私たち家族が遊びに行くといつも時間を作って私の相手をしてくれた。ケンちゃん、これ描いて!と際限なくねだる私に嫌な顔一つせず応えてくれるケンちゃん。そんなやさしいケンちゃんに異変が起きたのはケンちゃんが中学の時で私が小4の時だ。些細なことがきっかけで学校でいじめにあうようになったらしいのだ。そして学校に行けなくなってしまったという。そのことは当然母の耳にも入り、お見舞いに行くことになったが、最初母は私を同行させるのをためらったようだ。しかし、私がなんとしても行くという態度だったので連れて行くことにしたようだが、この時点では母はケンちゃんの様子について詳細は把握していなかったのかもしれない。そして母の実家についた。
玄関を入ってすぐに大広間がある。ケンちゃんの部屋は2階だがその時はその大広間の片隅にいた。足がついたテレビの前に布団が敷かれ、そこにケンちゃんは横になっていた。曇り空の午後、さらに灯りも消された大広間はかなり暗く少し怖かった。そんな大広間の片隅でつけっぱなしのテレビがケンちゃんの顔をぼんやりと照らしていた。ケンちゃんは私たちにも全くの無反応で、ただテレビの方を向いていた。私は絶句し自分の目を疑った。あの聡明でやさしいケンちゃんが寝たきりの状態になっていたのだ。驚いて声も出せない。とにかく目の前で横たわっているこの人がケンちゃんだとはにわかには信じられなかった。心が壊れるとすべてが破壊されてしまう。めちゃくちゃ悲しくて辛かった。私は泣きそうな顔で母を見た。母の表情は苦痛で歪んでいた。
ケンちゃんの母親である叔母などの話を母が聞いた。すると病院にはいかず、祈祷師?みたいな人にお祓いしてもらっているという。
母は激怒した。
「ケンちゃんが死んでしまう!」
母は急いで某市内の総合病院に連絡し状態を伝えたが、その状態じゃここでは診きれんということで、別の病院を教えてもらいそこに入院することとなった。主治医には「なぜこんな状態になるまで放っていたのか!」と、叔母はかなり怒られたようだ。「(怒られて)当たり前やん」母が吐き捨てるように言った。
その後ケンちゃんは無事回復。今も元気に過ごしている。ケンちゃんは当時の自身にまつわる顛末を後になって聞いたらしく、今では母のことを「命の恩人」と言ってはばからない。
おそらく母は、アルコール依存症とか関係なく、その友人がわが子を恥だという扱いをしていることに怒っているようだ。とはいえ友人もどうしていいのか途方に暮れている様子だった。どうやら病院には診てもらっているらしいのだが、状態は一向によくならず悪化しているようにも見えるとのこと。
母は何度か食事に誘い連れ出したようだが、状態がいいときはどこにでもいる色白のお嬢さん、と言っていた。
その話を聞いた私はアルコール依存について調べ、何かできることがないか考えた。できそうなことなど見当たらなかったが孤立はよくないと思い「年も近いことだし友達で集まるときに声かけるから一緒に遊べんかなぁ」、と母に提案してみた。母はその友人に言うとくわ、と言いこう私に言った。「そうやなぁ、あんた頼むわ」
それからたぶん一ヶ月ぐらいして母から連絡があった。
「あの娘、亡くなったって」
家族に黙って呑みに行き、泥酔してふらついたところに運悪く来た車が避け切れずぶつかってしまい、倒れた時の打ちどころが悪くそれが致命傷だったとのこと。
事故現場は自宅近くで帰宅途中だったようだ。
問題はその後だ。
連絡してきたのは「今夜が通夜」というタイミングで、その娘と面識があり、なにもかも承知している母にすら連絡をためらったらしい。
そんなことなので、いたであろう友人にも一切連絡せず。
しかも豊中市在住なのに式場が隣の吹田市で、私が葬儀社に勤めていることも知っていたのにあえて別の葬儀社に依頼していた。
母はやるせないと言った様子で一通り話し、「あんた、明日参列できへん?」と聞いてきた。
見送る人もなく送り出すのはあまりにもかわいそうや、と。
翌日式場へ行き亡骸と対面した。透き通るように白く穏やかなお顔だった。やるせなかった。
参列者は母、妻、私の3人だった。
もうこういったことを恥だと考えるのはやめてほしい。
病気なんです、どちらのケースも。
特に依存症に対する一部メディアの報じ方には問題があると思ってる。
事実なら何を言ってもよいとばかりに依存症になってしまった人のプライベートを暴き面白おかしく記事にする。
もうそんな叩くのは止めにしなければならない。依存症は病気。病気は治療するだけだ。簡単な理屈だ。メディアは依存症患者がためらうことなく治療に向かえるような社会にするためによく考えて報じてほしいと心から願う。
同時に依存症に向けられる偏見に対して毅然と向き合い、あるべきスタンスで報じるメディアを応援したい。
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