『パチンコ(上)』をみた帰りにZORN the Darknessの聴きたくなったみたいに
「人を傷つけない笑い」
がもてはやされて数年。この言葉を嘲笑以外で使うお笑い好きがもうそろそろ見当たらなくなってきたころであるが、人を傷つけられもしない作品のどこに価値があるだろうとさえ、今は思う。
昨日、東葛スポーツという劇団の芝居を初めて見た。好きな劇団の俳優が出ていたりするので名前はなんとなく少し前からきいたことがあったが、なぜだか今回ふと足を運んでみようと思った。私をなぜだかその気にさせた悪魔に今は感謝してもしきれない。
あのステージが良かった話を書き連ねることに意味はない。おすすめしたってもうきっと見られないものだし、すでに見た人にはその人なりの共感される必要のないかけがえのない余韻が残っているだろうから。
その余韻は私にとっては”傷”である。肘を曲げ伸ばしするたびにその存在を思い出すかさぶたのようにふとあの時間を思い出してしまうし、今日初めて会ったある人のライフストーリーだと思っていた話が身近な出来事に一気に詰め寄ってきたあのワンシーンで、悲しさも悦びも感じていないのに流れてきた涙は、もともとは血液だったみたいだし。
その傷口から入り込んでくるHIP HOPのウイルスに身体とSpotifyの再生履歴と検索履歴とが侵され、今はZorn the darknessのインディーズ音源をどうしたら聴けるか躍起になっている。
傷はかくして、皮膚という死んだ細胞で普段は空気から隔てられた私の血肉を再び外に開いてくれる。「人を傷つけない笑い」を好む人はこういうひりひりした体験をせずに死んでいくことをいとわないのだろうか。いや、もう死んでいるのかそいつは。そいつの表面は死んだ細胞に包まれている。