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田舎には絶妙に死があふれている

私がALSを告知された経緯については上記。

まず最初に不吉なサムネイルを選んだことを謝罪しておきたい。娘の同級生のお母さんが昨日亡くなったそうだ。私より先に逝ってしまうなんて悲しくて悲しくて。自分は安楽死を目指すなんて宣言しておきながら、他者の死に対してはひどくうろたえてしまう。

私の住んでいる場所はまあまあな田舎だ。平穏を求めて都会から越してくる家庭が多い場所。子どもは田舎でのびのびと育てたい。でも仕事は都会で。なんていう子育てパパママのわがままを叶えてくれる絶妙な立地にある。

絶妙に田舎過ぎず、絶妙に平和だ。

そんな田舎なので学校はひと学年ひとクラスしかない。子育てに対して意識高い系の親がそろっているので、学校だけでなくコミュニティ全体で子供たちを見守っている空気がある。クラスの全ての家庭でお互いに子どものことだけでなく両親のことも把握しているのでとても仲が良い。

何が言いたいのかというと、仲がいいのでとても悲しいということだ。入退院を繰り返していたことも知っていたし「病院を周るのをやめた」という話も聞いていた。でも正確な病名は知らなかったし踏み込んで聞ける話でもない。上手に病気とつきあっていくという意味なのか死を受け入れるという意味なのかわからなかった。もしかしたら先は長くないのかもしれないという予感はほんの少しあったが、予感のままでそっとしておいた。

夏休みのおかげで忘れていたその予感が結果と一緒に戻ってきた。今度はぐちゃぐちゃな感情を引き連れて夏休み前よりも何倍も大きくて暗いかたまりに成長しているようだ。そういえば異性の親はママ友なのかパパ友どっちだろうか。親友(おやとも)か?なにもかもわからなくなってくる。

ただ悲しかった。亡くなったお母さん。その子どもの様子が最近おかしいと私の子どもがぼやいていた。なんだか最近いじわるをしてきて怖いと。弱っていく母親を側でみて心穏やかに過ごせる中学生はそう多くないだろう。子供の送迎でたまに顔を見ることがあったが小学生のときと変わらず元気にあいさつしてくれていた。いや少し不自然に元気すぎたかもしれない。とすら思う。

私の病気が進行していけば今度は私の子どもたちに様々な変化が訪れることになるのだろう。したくもない想像が浮かんでは消える。仕事にも行かなくなり、すでに私の様子がなにか違うことは子どもたちも気づいているようだ。早めに説明して死を受け入れる時間を長くとったほうがいいのだろうか?それとも死ぬまで説明しないほうがいいのだろうか?やはりなにもかもわからなくなってくる。

絶妙に平和な田舎を乱す代表格は人の死であったりする。つい数ヶ月前も近所のおじいさんが亡くなったばかりだ。自分に子どもがいなかったこともあってか私の子どもたちを我が孫のようにかわいがってくれた。誕生日プレゼントも欠かさないほどに。なんというか、田舎には絶妙に死があふれている。


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