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余命宣告されて10日後の気持ちをツラツラと記す

ALSを告知された経緯については上記。

医師からALSの告知を受けてから10日たったが、自分時計では1ヶ月くらいのような体感だった。人が死ぬ直前に走馬灯をみると言われているように、死に直面すると内面的な時間が伸びるものなのだろか。

だけど、死に直面した人の9割くらいは実際に死ぬわけなので、本当に走馬灯をみたかどうかは確認するすべもなく、奇跡的に生還してかつ走馬灯のことをきちんと説明できるケースのほうがまれだろう。そうなると、走馬灯サンプルが足りないような気がしないでもない。

とか、余計なことを考える心の余裕は多少あるようだ。

今の自分の状態を一言でいってしまうと、「浮き沈みが激しいけれど前向きな気持ちに向かっている」といったところだ。きっと死ぬまで気持ちの整理がつくことはないのかもしれないと思ったりもする。長時間放っておくと巨大でぐちゃぐちゃな自分の気持ちに潰されてしまうので、その前にここで一発noteで発散することにした。

というのも、1週間前に初めてnoteにポストして、翌日また別のポストして、自分でもびっくりするくらい晴れやかな気持ちになった。もともと自分からSNSなどで発信することが今までなかったので、自分の考えを言語化して発信することでこんなにも頭が整理されて気持ちが晴れるなんて知らなかった。これまでも、もっと普段から発信しておけばよかったとすら思う。

おまけに、温かなコメントやスキのフィードバクがさらにポジティブマインドを増幅してくれたことはみなさんの想像通りである。

変に落ち込んで家族との時間を無駄に過ごしたくない。という気持ちが不安や恐れに無理やりフタをしていたことも気持ちを前向かせる要因になっていた。だけど、ふとした時や子どもが寝静まったひとりの時間には、彼らがフタを押しのけて姿を現わす。そうなると歯止めが効かないほどの落ち込みがはじまってしまうのだ。

とにかくどんな些細なことでもいいから自分のこれまでの人生すべてを疑い否定し、自分を責め立てる。小学生の頃、夜寝る前にきちんと歯磨きをしなかったことですら何か今の自分と関係があるのではと疑ってしまい、「いったい今までなにをやっていたんだ」と自分を責めてしまうほどだ。

一方で、8割型は前向きな方向に気持ちが向かっているようにも感じている。せっかくの夏休み。すでに退職が確定し有休消化の身としてはこのチャンスを逃す選択肢はないので、子どもを連れて近くの川へ遊びにいく毎日。

子ども達との戯れもほどほどに、川の流れに逆らいひたすらバタ足で泳いでみたり、ジリジリと照りつける太陽を浴びながら河原で腹筋や腕立て伏せ、ストレッチなど、ひたすら体のメンテナンスに走る自分。

この奇行が功を奏したのか、川遊びに通い始めてからというもの学生時代を思い出すほど体の調子が良い。それに、一応これには自分なりの理由もある。

根拠を説明できるほど自信がある話でもないが、自分なりにとにかく「体力」「筋力」「柔軟性」を高めつつ「日光浴」と「睡眠時間」を意識的に多くすることで少しでも病気の進行を遅らせられると、勝手に信じることにしたからだ。

そう、割と普通の健康ポイントをただ並べただけで特別なことは何もない。

だとしても、自分にとっては一周回って逆にコロンブスの卵のように思っている。一応参考にした本のひとつを紹介するが、アフェリエイトや広告案件の類ではないことは念のため付け加えておこう。


この本は一昔前にブームになった本で、決して今更ながら私が科学信奉に目覚めたわけではないが「科学さすがだな」と関心したのは事実。「どれ、河原でエキササイズでも、、、」と前向きな気持ちになれたのはこの本の影響も大きい。

また、こちらのYoutubeについても睡眠の質の重要性を再確認できて、自分にとっては今更だが子どもたちにはしっかり仕込んでおきたい。世界中の全ての人達が一人残らず見た方がいいのではないかとすら思う。


おそらく自分と同じような難病の方とその家族のほとんどが同じような行動を取るはずだと個人的には思っていて、この10日間で自分なりに上記のものに限らず様々な民間療法を調べてみた。

いくらがんばって調べてみたところで、完治という意味では難病に対応できるような都合のいい療法があるはずもなく、99%効かないと思っている。それでも調べてしまうのが人間というもので、私も例外ではない。

あきらかに怪しいものからぱっと見で信憑性がありそうなものまで、ひとりの時間を大量に注ぎ込んで調べてみた。1%の完治を夢見たくなる気持ちと、少しでも病気の進行を遅らせたい気持ちで無我夢中になってしまう自分。

そうして、量子力学とかアカシックレコードとか、前衛的でかなり振り切った項目にまで手を伸ばしたところでハタと我に帰り、自分には科学の進歩を加速させる力もなければ自分の秘められた力を解放するべく修行に取り組む時間的な余裕もないことに気づくことになるのである。

ということで、本当にだらだらツラツラとした文章になってしまった。結果として、この10日間で今の気持ちは前向きなものに変わりつつある。フタをしている彼らは相変わらず顔を出そうと必死なので、絶対にフタが開かないほどに自分の夢や希望、興味や好きなことをフタの上に積み上げてやろうと思っている。

仕事ばかりしていたのと飼っている猫のために実家にすら帰らない生活だったので、家族旅行がてら帰省できたら一石二鳥だろうか。人の迷惑とかこの際だから気にしても仕方ないので、猫は近所の誰かに預けてしまおう。九州の両親も一緒に大分にでも温泉旅行などいけたら最高だろう。

もういっそのこと、ずっと行きたかった海外旅行にでも行ってしまおうか。10年以上前、カンボジアやミャンマーなど、その活気に魅せられた東南アジアの国々にもう一度行ってみたい。ついでに、中途半端に少しだけ話せる英語をもう少し流暢に話せるように練習しよう。

体に負担がかかり過ぎて老化が早まるらしいという理由でやめたマラソンも体が動く間はやってしまおう。もはや寿命を縮めて後悔する年齢まで生きることは望めないので問題ないだろう。かつて申し込み寸前で取りやめたホノルルマラソンには体が動く間に参加できるだろうか?ちょっと厳しいか?

祖父の遺産でもらってきたNHK「世界遺産」のDVD集。そこで見た世界三大瀑布は壮観だった。他にもピラミッドとかマチュピチュとかウユニ塩湖とか、一度は行ってみたい場所がたくさんある。どれひとつとっても高望みだが思いをはせるぐらいは許されるだろう。

ハードルが低くて絶対に達成したいのは富士登山だ。日本に生まれ育って富士山を知らずに死んでいくのは少しだけ寂しい気がするからだ。さすがに3歳の末っ子は難しそうだが、小学生と中学生の上の子二人は一緒に山頂を目指せそうだ。

妻に対しては本当に苦労をかけっぱなしで申し訳ない気持ちが半分、そんな自分と一緒にいてくれた感謝が半分だ。妻は幸せの価値基準をお金に求めない、本当の幸せはお金で買えないことを10代の付き合いたてのころから理解していた本物の人格者で、私はそんな妻を心から尊敬している。

だからなおのこと、私がいなくなった後にできるだけ不自由しない生活が送れるようにしてあげたい、お金で解決できることをできるだけ解決してからこの世を去りたい。と、より強く思ってしまう。

子どもに残せる金銭的な遺産がほとんどないことが悲しくて仕方がない。ただ悲しんでいても仕方がないので、体が動く残された時間で自分の姿を見せたい。つい3日ほど前から、妻と相談して家事全般は私がすることにした。自分が家族の役に立てると思いたいし、自分がせっせと家事をする姿を最後に子どもたちには覚えておいてほしい。

英語の勉強はオンラインレッスンをわざと大声で話して、「勉強することが当然」という姿を見せておきたい。数学の勉強が楽しいと思えるような教養本をいくつかみつくろって、まずは自分で読んでる姿を見せておき、読み終わったら子どもの本棚にこそっと紛れ込ませる。という作戦も考えている。

遺産を残せないのなら将来自分で稼げるようになってもらうしかない。あとどれだけの期間そんな自分の姿を見せられるかわからないが、もはや自分に残せるものといったらそれくらいしか思いつかない。

などと色々考えていたら、少しフタが重くなった気がする。


※eriko_fukakiさま
今の自分の気持ちとマッチする部分があって共感しました。
素敵な作品をありがとうございます!


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