日記 2023.10.22

毎日同じだ。辛くて、映画を観た。

ウェス・アンダーソン監督の『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』と『犬ヶ島』。
まだまだ観てない監督作品が残ってるので、まるで金脈を掘るようだ。

普通のモニターで観たのではどうしても集中できずにツイッターとか開いてしまうような気がして、今日はVRゴーグルのQuest 2に導入したアマプラのアプリから視聴した。

映画館の大きなスクリーンを望むど真ん中の席に座っているかのようなレイアウトになっており、横に顔を向けるとドリンクホルダーや通路の誘導灯が見えるなど没入感があって、これがなかなか良い。
飲み物を飲みたい場合はコップだと十中八九こぼすことになるので、ボトル入りのジュースを、鼻の部分の隙間から手元を覗きつつ恐々飲むのがいいだろう。

『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』は、編集長の逝去により急遽廃刊が決まったフランスの人気雑誌の物語。編集部が居を構える「アンニュイ」という(架空の)街が舞台であること以外はまるで異なるテーマ・異なる登場人物が描かれる短編集のような作りで、全ての話が実は繋がっていて…ということも特にない。あくまで「雑誌」で、てんでバラバラなのだ。

しかしながら独特のユーモラスと少しの切なさを感じさせる空気感、カラフルとモノクロを行き来する画面の視覚的な楽しさ、抑揚のない喋りと大胆な展開のコントラストなどの作風は変わらず一貫しており、次々と運ばれてくる濃密で無意味な時間は美しく、満足度が高い。
ウェス監督作品に登場する俳優は毎度お馴染みのメンバーである(そして自分もわかるくらいの超大物ばかりである)ことがほとんどらしく、誰がどんな役どころになっているのか発見するのも楽しい。

ウェス監督が一作品に込めるテーマやアイデアは何か一つや二つだけというふうには留めておらず、それはもうオモチャ箱のように様々な捉え方楽しみ方ができる。「劇中劇」の演出の多用などから難解であるという見方をされることもあるようだが、深い意味などを考える必要はなく、「なんかよかったな」という感想だけで十分であるように思う。

『犬ヶ島』は精巧なストップ・モーションアニメで描かれるSF犬映画。
日本のウニ県メガ崎市では犬を媒介とした“ドッグ病”が蔓延。人間への感染を危惧した小林市長は市に住まう全ての犬という犬を廃棄物処理用の孤島“ゴミ島”へと追放する法案を実行する。
市長の養子である小林アタリ少年は、追放された愛犬スポッツを探し独り小型飛行機で島へと乗り込む。島で懸命に生きる5匹の犬と出会い、言葉は通じないながらも共に過ごすこととなった少年は、無事に愛犬を見つけ出すことができるのか…。

パペットであることを忘れるほどの繊細な演技・表情がとにかく凄い。
トンチキな日本の描写は可笑しいが、この「過剰な“その国っぽさ”描写」もウェス監督の常套的な演出であるらしい。
原語版でも日本人キャラクターは日本語のまま話しており、通訳などを介さない場合は字幕も表示されない。これは英語で翻訳される犬たちの言語と対比させることで「何と言っているのかはわからないが何を言いたいのかはわかる」というような犬と人のコミュニケーションを演出する意図があるわけだが、日本人からすれば物語や心情を補足する台詞が多くあることとなり、結果的に他作品と比較してもかなり「わかりやすい」ものとなっている。

そんな感じでした。

ウェス・アンダーソン監督の作品には「ずっとこの世界にいたい」と思わせるような愛おしさ・寂しさがある。

ずっと映画ばっか観てたいな。は〜、生きたくないな。嫌だ〜。マジで。無理です。本当に。こうやって文字にしてしまうと思考がそれで固まってしまってますますよくなくなるっていうのはわかってるんだけど、それでも。どうにかしてくれ。もう、勘弁してくれ。救済してください。どうしたらいいんだ。ふう〜。

読んでくれてありがとう。また明日。じゃ〜ね。バイバイ。

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