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クラブ活動で出会った人

うりもさんのつながり活動、7月のテーマは『クラブ活動や習い事で出会った人』
昼はテニスをやっていて😆スタエフを聞けないので今回は記事にします。

本当ならその出会いでつながった心に残る思い出を書かなければいけないのかもしれない。

たくさんの良い出会いと思い出が多いのは恵まれたことかもしれないが、そんな中ひとつだけ忘れられない嫌な出会いがあった。

小さい頃から運動オンチな私が、何を間違ったか中学生になって運動部に入部した…と聞いた回りの知り合いたちはこぞって驚いていた。

特に幼稚園時代を知っている友達の親とかは「え〜?圭果ちゃんがテニス部???」
運動オンチのことだけでなく私が運動部でやっていけるのかという心配だったのだと思う。
それほど私は引っ込み思案で泣き虫で自分の意見も言えない子だったのだ。

昔の運動部は結構スパルタで顧問は怒鳴り散らすは、水も飲んではいけないは、で厳しかったように思う。
今は禁止されているうさぎ飛びやこれ関係ないのじゃないの?という準備運動もやらされた。

何か問題が起こると連帯責任で全員が怒られたり、忘れ物をしたら腿の後ろを定規で叩く顧問もいた。思春期の女の子の腿に赤く定規の痕が付いたなんて今だったら問題になるだろう。

話は逸れたが、そんな体育会系の中に私が入っていけるのかと皆が心配していたのだと思う。
不思議と両親は何の疑問も持たず寧ろ喜んでラケットを買ってくれた。

それまで遊びに使っていたラケットは祖母からもらった木でできた骨董品のようなラケットだった。
いつ張ったのかもわからないカリカリのイカのようなガットだった。いや、ガットだけのせいではないがボールもまともに当たらないまま入部したのだ。

当時テレビアニメや少女マンガでテニスがとても流行っていたせいかテニス部は大人気で6クラスそれぞれ10人くらいの女子が希望していた。
中学は軟式テニスだったが、
一年生は毎日球拾いと素振り100回!

部活が終わればコート整備とボールの空気入れ。
夏休み目前になってもコートで球を打たせてもらうこともなく、しまいにみんなやめていった。
自分でも信じられないがそんな中でも決してやめようと思わなかった。上手な先輩のプレーを見ているだけでも面白かった。

結局一年生で残ったのは8人くらいだったと思う。
けれども後でわかったことだが、顧問が全然テニスの経験者ではなく教えてもらえなかったのだ。
幸い先輩達は優しく教えてくれていたがコーチのいない部活なんて!

2年生になった頃、部員は6人になり全員がレギュラーになれたのは良いけれどたくさんの中から選ばれたレギュラーではないのでレベルは低かった。

そんな中、なんと市内の優勝校のテニス部の顧問が転任してきたのだ。
なまぬるかったテニス部が一気に厳しい部活に早変わり!

一年生で入ってきた中に経験者がいるとわかればすぐコートに入れて練習させる。
私達の一年生の時の待遇とはえらい違い。
そしてレギュラー以外はコートに入れない。少数精鋭型の方針。
え?中学の部活だよね?

ところがさすがに優勝校を育ててきただけあってみんなのスキルは上がって行った。

その先生はユニフォームや学校名のネームタグの色も全部決めて、出来上がってきたネームタグを見たら優勝校のネームタグと同じ配色で地の色と学校名の色が反対なだけだった。

何かというと前の学校を引き合いに出しあまりいい気分ではなかったが、確かに強かったのだから仕方がない。
レベルの低い私達にかける言葉もキツかったし意地悪入ってる?と思うほどだった。
それでも6人仲が良かったのでみんなで頑張ったつもりだった。

なのに…6人で歯を食いしばって頑張ってきたのをことごとく踏みにじられることが起こった。

その日は市の大会で多くの学校が集まっていた。
初めて皆で参加する団体戦、不安はいっぱいだったが先生が見守ってくれるだろうと当然のことのように思っていた。

いざ試合が始まるとあれ?先生がいない。とうとう3チーム終わるまで先生の姿は見えなかった。
皆で何面か先のコートの回りを探していたら、いたいた。何と先生は前の優勝校の試合の応援をしていたのだ。
そして「勝った勝った」と笑顔で帰ってきたのだった。

今思えば自分が育てた生徒達の試合を見てみたかったのは少しはわかるけれど、当時の私達は本当に怒り心頭で許せなかった。
何より見放された感でいっぱいだったのだと思う。

あれだけ叱咤激励しながら厳しい練習をさせて自分好みのユニフォームまで揃えておきながら試合の様子なんて興味ないのか…って中学生ながら「矛盾」を感じたのだった。

当時この漢字を覚えたばかりの私達はその「矛盾」を先生にぶつけて私達なりの要望も言ってみたが何度言っても先生が変わることはなく認めることさえしてくれなかった。
何を隠そうその漢字を教えてくれたのはその先生だった。

「矛盾」を感じたのはたった一つのことではなく今まで溜まっていたことが一気に溢れ出したのだと思う。
私達は全員退部した。

一番憧れだった夏の大会に出られなかったのは悔やまれたが、若気の至りか当時の私達はそれほどまでに許せなかった。
そしてこんな嫌な大人っているんだって初めて経験したことだった。

一時大嫌いになったテニスだったが、高校大学で軟式を続け、会社に入って今度こそ!と思っていたら経験者のたくさんいる軟式部にまた誘われて結局、硬式に転向したのは下の子が幼稚園に入ってからだった。
その子がパパになっているのだから何十年やっているのだろうという感じだが、良い思い出や出会いの方が圧倒的に多いのは幸せなことだ。

あの時感情的になって大好きな部活動をやめてしまったことはしばらく引きずっていたのだが、この先生のせいでその後の人との関わりにおいて相手のことも受け入れて、納得いかないことでも聞く耳を持ち一拍おいて話をすることを学んだような気がする。
ただ14才の私達には難しかっただけだ。

そしてこんな長い間テニスを続けられていることはひとりでは到底無理なことで、良い仲間達のお蔭だと思っている。

内容が少しずれているかもしれませんが長々お読みいただきありがとうございました。





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